【三題噺】寂しいが言える幸せ
MAGNET MACROLINKで開催されていた、第24回「三題噺」短編コンテスト投稿作品。
https://www.magnet-novels.com/novels/63940
お題:「コーヒー」「グラス」「寂しい」
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「……んのバカヤローッ」
そんな、嫁入り前の娘が口にするには少しばかりお行儀の悪い言葉を吐き出した代わりに、私はこの日3杯目のビールの残りを一息に飲み干した。
今夜は、彼氏と久しぶりのデートだった。いや、そのはずだった。
私がIT系、彼は広告系と、互いに仕事が忙しくなかなかタイミングが合わない中で、奇跡的に時間が出来たと思ったら、向こうに急な呼び出しが入り、あえなくドタキャン。
仕方なく待ち合わせ場所からひとりトボトボと帰っていた私は、ふと目についたこのカフェバーに『アルコール』という名の癒しを求めて、ふらり立ち寄った。
それから、入店した私を丁寧なお辞儀で迎えてくれたマスターに、とりあえずでビールを注文したのだった。
「うちら、合わないのかなぁ……」
空になったグラスをコースターの上に戻して、自分以外の客がいないことを幸いに私はカウンターにぺたんと突っ伏した。
よく手入れされているのだろうピカピカのカウンターが、火照った頬に気持ちいい。
初めて入った店だったけど、アタリだったな。マスターもいい感じだし。
そういえば、アイツもこういう雰囲気の店好きだし、今度連れてきてあげようかな──なんて。
「今度か……あるといいけど」
そのまましばらくの間、片頬をつけて目を瞑ったままでいる私の頭の方で、
──コトン。
と、グラスの置かれる音がした。
顔を上げると、先ほどまで空のグラスがあったはずのところに、見るからにクリーミーな泡を冠した黒ビールで満たされた、新しいグラスが置かれている。
「えっ?」
驚いてカウンターの向こうに立つ、真っ白になった髪を総髪に結った初老の男性──この店のマスターに、顔を向けた。
「店からのサービスです」
その髪色もあるが、顔に刻まれた皺の深さから、もう還暦は過ぎていそうな印象のマスターだった。
糊のきいた白いブロードシャツに、いい感じに色の落ちたデニムというちょっとラフな組み合わせがよく似合っている。
「ありがとうございます……って、にがぁ、っ!」
ロクにグラスも見ずに口元に運んで煽った私は、途端口の中に広がった苦味を飲み込んで思わず声を上げた。
「え、これ……コーヒー?」
「えぇ。黒ビールみたいでしょう? 『ナイトロコーヒー』というんですよ」
そんな私の様子に顔色ひとつ変えることなく、マスターはナプキン片手に涼しい顔でグラスを磨きながら答える。
「昼間はカフェもやっておりますので。それに」
マスターはチラリと私の方を見てから、小さな瓶を2つ、私の前にコトリコトリと並べて置いた。
中身は、透明な液体と白い液体。シロップとミルクだった。
「そろそろ、アルコールは十分ではないかと思いまして」
「……余計なお世話ですー」
私はたっぷりのシロップと、少しのミルクを入れて、グラスの中身をかき混ぜる。
真っ黒の中に一筋の白いラインが引かれ、やがて互いに馴染んでいった。
それを見届けてから、私はもう一度グラスの中身を口に含む。
「……おいし」
さっきはただ苦いだけだったのに、そこにシロップの甘さとミルクのコクが合わさることで、それが深みに変わっていた。
視界の端で、マスターが口角を上げながら軽く頭を下げるのが見える。
「マスターはさ」
コーヒーの入ったグラスを傾けながら、私はマスターに言葉を投げた。
「結婚してるの?」
マスターは相変わらず黙ったまま、グラスを磨く手を止めずに軽く肩をひそめる。
「してましたよ。妻には先立たれたので、今はご覧の通り、独り身ですが」
「あっ……ご、ごめんなさいっ」
慌てて謝る私に、マスターは小さく笑って首を振った。
「ここは、妻と始めた店なんですよ。内装とかも、いい趣味してるでしょう?」
そう言うと、マスターはおどけたようにグラスとナプキンを持ったままの手を広げる。
気を遣われてしまったのが気恥ずかしくて、私は曖昧な笑顔で応えるしかなかった。
「インテリアや小物は、妻の趣味ですがね」
「一人でこの店やってて、寂しくならないんですか?」
マスターが愛おしそうな目で店内を見渡すのを見て、思わずそんな言葉が口をつく。
「ふむ」と、少し考えるそぶりを見せた後、マスターは私の目をジッと見つめて口を開いた。
「寂しいと思えるうちは、まだ幸せかもしれませんね」
その言葉にどれほどの思いが込められているのか、私には想像することしか出来なかったけど。
マスターの優しい眼差しから目を逸らせずに、私はただコクンと頷いた。
「もっとも」
と、先に視線を外したマスターが、隣の席に置いていた私の鞄を目で指し示す。
「『寂しい』と言える相手がいる幸せには、敵いませんがね」
マスターの目を追ったところで、バイブ音がするのに気付き、慌ててスマホを鞄から引っ張り出した。
画面を開くと、メッセージアプリに未読を知らせるバッジが大量についている。
そのほとんどは、彼からのメッセージとスタンプだった。
「この……ばかやろー」
『ごめん』の文字とスタンプで溢れる画面に向かって小さく呟くと、私はメッセージを入力する。
「さ・み・し・い……っと」
送信し終えたと思ったら、すぐに彼からメッセージが返ってきた。
その内容に、自然と笑みが漏れる。
「マスター! お勘定!」
スマホを鞄に戻しながら立ち上がる私に向かって、マスターがにこっと笑って首を振った。
「今日の分は、ツケておきます」
「えっ?」
財布を取り出す途中のポーズで固まっている私に、マスターが続ける。
「今度、お二人でいらしたときにお支払いいただければと」
しばらくキョトンとしてしまった私だったが、ようやく頭が追い付いてきたところで思わず吹き出してしまった。
そんな私を見つめるマスターのすまし顔が余計に面白くて、涙が出るほど笑い続ける。
ようやく落ち着いたところで目じりに溜まった涙を拭うと、大きくひとつ深呼吸。
それから鞄を掴むと、マスターに向けて笑顔でこう言った。
「今度は、昼間にコーヒー飲みにきます!」
そんな私を、マスターは来店した時と同じように、丁寧なお辞儀で見送ってくれていた。
2019年11月15日 10:46:43 の変更内容が競合しています:
「……んのバカヤローッ」
そんな、嫁入り前の娘が口にするには少しばかりお行儀の悪い言葉を吐き出した代わりに、私はこの日3杯目のビールの残りを一息に飲み干した。
今夜は、彼氏と久しぶりのデートだった。いや、そのはずだった。
私がIT系、彼は広告系と、互いに仕事が忙しくなかなかタイミングが合わない中で、奇跡的に時間が出来たと思ったら、向こうに急な呼び出しが入り、あえなくドタキャン。
仕方なく待ち合わせ場所からひとりトボトボと帰っていた私は、ふと目についたこのカフェバーに『アルコール』という名の癒しを求めて、ふらり立ち寄った。
それから、入店した私を丁寧なお辞儀で迎えてくれたマスターに、とりあえずでビールを注文したのだった。
「うちら、合わないのかなぁ……」
空になったグラスをコースターの上に戻して、自分以外の客がいないことを幸いに私はカウンターにぺたんと突っ伏した。
よく手入れされているのだろうピカピカのカウンターが、火照った頬に気持ちいい。
初めて入った店だったけど、アタリだったな。マスターもいい感じだし。
そういえば、アイツもこういう雰囲気の店好きだし、今度連れてきてあげようかな──なんて。
「今度か……あるといいけど」
そのまましばらくの間、片頬をつけて目を瞑ったままでいる私の頭の方で、
──コトン。
と、グラスの置かれる音がした。
顔を上げると、先ほどまで空のグラスがあったはずのところに、見るからにクリーミーな泡を冠した黒ビールで満たされた、新しいグラスが置かれている。
「えっ?」
驚いてカウンターの向こうに立つ、真っ白になった髪を総髪に結った初老の男性──この店のマスターに、顔を向けた。
「店からのサービスです」
その髪色もあるが、顔に刻まれた皺の深さから、もう還暦は過ぎていそうな印象のマスターだった。
糊のきいた白いブロードシャツに、いい感じに色の落ちたデニムというちょっとラフな組み合わせがよく似合っている。
「ありがとうございます……って、にがぁ!」
ロクに見ずにグラスの中身を煽った私は、途端口の中に広がった苦味に思わず声を上げた。
「え、これ……コーヒー?」
「えぇ。まるで黒ビールみたいでしょう? 『ナイトロコーヒー』というんですよ」
そんな私の様子を気にするでもなく、マスターはナプキン片手に涼しい顔でグラスを磨きながら答える。
「こちら、昼間はカフェもやっておりますので。それに」
マスターはチラリと私の方を見て、小さなガラス瓶を2つ、私の前にコトリコトリと並べる。
その中には、白と透明な液体――ミルクとガムシロップのようだった。
「そろそろ、アルコールは十分ではないかと思いまして」
「……余計なお世話ですー」
私はたっぷりのシロップと少しのミルクを入れて、グラスの中身をかき混ぜる。
真っ黒なコーヒーの中に一筋の白いラインが引かれ、やがてそれが混ざりあって一つになっていく。
それを見届けてから、私はもう一度グラスの中身を口に含んだ。
「おいし……」
さっきはただ苦みしか感じなかったのに、シロップの甘みとミルクのコクが合わさることで、それが深みに変わっている。
私の呟きが聞こえたのか、視界の端でマスターが軽く頭を下げるのが見えた。
「マスターはさ」
グラスを傾けながら、私はなんとなくマスターに言葉を投げる。
「結婚してるの?」
マスターは、グラスを磨く手を止めずに軽く肩をひそめた。
「してましたよ。妻には先立たれてしまったので、今は独り身ですがね」
「あっ……ご、ごめんなさいっ」
慌てて謝る私に、マスターは小さく笑って首を振る。
「ここは、妻と始めた店なんですよ。内装とかもこだわりましてね。いい趣味してるでしょう?」
マスターはおどけたようにそう言うと、グラスとナプキンを持ったままの手を広げた。
そんな風に気を遣わせてしまったのが気恥ずかしくて、私は曖昧な笑顔で応える。
「そのあたりのインテリアや小物なんかは、妻の趣味ですがね」
「……そんな思い出がいっぱいの店を、一人でやってて寂しくならないんですか?」
愛おしそうな目で店内を見渡すマスターを見ているうちに、思わずそんな言葉が口をついた。
「ふむ」と少し考えるそぶりを見せた後、マスターはジッと私の目を見つめて言う。
「寂しいと思えるうちは、まだ幸せかもしれませんね」
その言葉にどれほどの思いが込められているのか、私には想像することしか出来なかったけど。
マスターの優しい眼差しから目を逸らせずに、私はただコクンと頷いた。
「もっとも」
先に目を逸らしたマスターが、隣のスツールに置いていた、私の鞄を視線で指し示す。
「『寂しい』と言える相手がいる幸せには、敵いませんがね」
その視線を追ったところで、鞄からバイブ音がするのに気付き、慌ててスマホを中から引っ張り出した。
ホーム画面を開くと、メッセージアプリに大量の未読を知らせるバッジがついている。
アプリを立ち上げると、そのほとんどは彼からのメッセージとスタンプだった。
「……んの、ばかやろー」
『ごめん』の文字とスタンプで溢れるトーク画面に向けて小さく呟くと、私はメッセージを入力する。
「さ・み・し・い……っと」
送信し終えたと思ったら、間を置かずすぐに彼からメッセージが返ってきた。
その内容に、自然と笑みが漏れる。
「マスター! お勘定!」
そう言って、私がスマホを鞄に戻しながら立ち上がると、にこっと笑ってマスターが首を振った。
「今日の分は、ツケておきます」
「えっ?」
財布を取り出す途中のポーズで固まった私に、マスターが続ける。
「今度、お二人でいらしたときに、お支払いいただければと」
その言葉にしばらくキョトンとしてしまったが、ようやく頭が追い付いてきたところで、思わず吹き出してしまった。
そんな私を見つめるマスターのすまし顔が余計に面白くて、そのまましばらく、涙が出るほど笑い続ける。
ようやく落ち着いたところで、指先で目じりに溜まった涙を拭うと、大きくひとつ深呼吸。
それから鞄を掴むと、私はマスターに笑顔を向ける。
「今度は、昼間にコーヒー飲みにきます!」
そう言って店を飛び出す私を、来店した時と同じようにマスターは丁寧なお辞儀で見送ってくれたのだった。
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