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理解してもらえないことが一番悲しい、でも理解してもらうために説明しただろうか。

(前置き長めです…スキップされる方は(ここから本題)へ↓↓)



みなさんは、これまでの人生でどんな辛いことを経験しましたか。
嫌がらせをされたり、デリカシーのない発言に傷ついたり…。
そのとき、怒った気持ちか悲しい気持ちか…どちらを感じたでしょうか。

怒りは、ある意味エネルギーのある素敵な感情だと、私は思います。
自分はこうあるべきだと思うのに相手はまるで違う、なんでだ!おかしい!という気持ちは、その瞬間腹が立ってしょうがないけど、その分エネルギーがありますよね。
自分だったらこうしない、相手にこんな思いさせない、そういう気持ちは前向きで未来が見えます。(怒っている人にそんなこと言ったらさらに怒りを誘発しそうだけど…)

でも悲しみは、ひたすらに後ろ向きだと思ってしまうことがあります。悲しみだって、「自分だったら誰にもこんな思いをさせない」と生きていくでしょう。でも、ふと、たまにですが、じゃあなんで自分はあんな思いしなければならなかったのか、なんて立ち止まってしまいます。

怒りも悲しみも、未来では他の人にこんな思いさせないと生きていても、未来で今日という過去に戻る必要があります。
怒りの場合は、嫌な記憶がありながらも相手から肯定的な反応をもらえれば、やっぱりそうだよなあ~と清算される気がします。
でも悲しみは清算されない。

相手に自分のような辛い思いをさせたくない一心で生きていても、自分だってあんな思いしたくなかったと過去に引きずられる日が多くあります。少なくとも私の話なのですが…。(私だけかな…偏屈だから…)
そしてそれは相手からの反応が肯定的であるほど、より卑屈になっていってしまう気がするんです。

(ここから本題)


前置きが長くなったのですが、怒りは自分が相手を理解できない、もしくは理解したくないことが自明である時に起きやすいと思います。そして悲しいのは相手に理解してもらえない時なのかなと、少なくとも私の場合はそうです。相手を思いやるための「想像」には、相手を理解することが少なからず必要なのではないかと思います。
怒るときは相手に思いやりが持てない時、悲しい時は相手に思いやってほしいのにそうしてもらえない時、であるケースが多かったような気がします。
(言葉や行動では思いやってくれているように外側から見えても、それは本当にその人の気持ちを考えた優しさではないとき悲しいと思う、とか。)
今日は悲しいことがあったので、悲しいことについて書こうかな。

みなさんはどんな時に悲しいと思うでしょうか。
私が悲しい、理解してもらえないと思うのは音に関してです。
私は昔から音が苦手です。中学生のころから他人の足音で機嫌を予測していたことが、日記にも書かれていました。

高校時代では極度のストレスで、教室の隅にいるクラスメイトのページをめくる音やペンの音まであらゆる音の全てが聞こえて辛かった。
それを伝えたくても誰にもうまく伝えられず…というか普通の人はそんなの気にしませんから、友達や親にも理解されませんでした。今よりもだいぶネットに疎くて孤独でした。

一応そういう音とか光が気になるんだよね、ということは分かってもらえましたが、眠る前に泣いてしまうくらい辛いとは伝わってなかったと思います。自分勝手ですが、誰にもわかってもらえない上に改善の見込みもなく酷くなっていくなかで、毎日自殺まで考えていました。(そう考えること自体は別に悪いことじゃない)

このごろ色々思い出したり、似たような場面に遭遇したりで、悲しい思いを久しぶりにして、この記事を書いてみました。
でも、人とのかかわりを少なくしてみたり、人に思いやりを期待しないようにすると、悲しいと思うことは少なくなったなあ。
…でもさあ…そんなの虚しいよなあ…なんて思います。

最近は、わかってくれなくて当然だとドンと構えて、理解してほしい時には説明しようと頑張ってみて、また相手のことも知ろう…と努めています。自分が理解したいように相手を見ていないか…とかの自戒にもつながります。これはまた別の記事で書こうかな。
私は今も子どもですが、でも今よりもっと子どもだったときは、全然説明できませんでした。何も伝わらない。
そもそも自分は相手とどう違うのか、その違いを相手に伝えてもいいことなのか分からなかった。違いも乗り越えて一緒に居たい相手なら、伝えていいはずなのにね。

高校生の私に言えるなら、もっと胸張って「悲しい!!」とか「私にとってはこうなの、わかってよ、なんでわかってくれないの!!」って怒っていいんだよって言ってあげたいです(笑)

それは別に傲慢ではなく、というより人間という生き物に対してすごく謙虚だと思います。この気持ちは言うべき、言わないべきとか思考停止の具現化ってありますよね…そうです、建前とか世間体とか。
空気を読んで相手をわかったつもりになっている時があるし、空気に合わせた自分を繕っている気がするときだってあるなあと思う。だからこそ、どこまでも忠実に、「相手は本当にそう思っているかな、無理していないかな」なんて…疲れる作業ですが考え続けたいです。

また長々と書きましたが、今の世の中本当に生きづらくて、思考停止で優しすぎたり悲しすぎたりが多い気がします。もちろんバランスは大事で、生きづらい世の中だからこそ今日はこんなこと書いてみました。
私はもっと感情をむき出しに、たくさん考え続けていきたい…です!!
そのほうが、本当に近い距離で自分なりに豊かに、人とかかわれる気がしています。



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