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私のためのフレンチトースト

なにかの雑誌で、石原さとみさんが料理を毎日していると知り、ドキッとしたことがある。

ショックだったのだ。あんなに有名な人が毎日料理をするのに「忙しいから料理しない」と言っている私は一体...。

料理をする理由について
「料理は手っ取り早く自分の機嫌を取れるもの。自分で自分の機嫌を取るってとてもゆたかだと思うんです」みたいなことが書かれていた。
素敵だ。ためいきが出るほど。もはや嫉妬すらしない。ただただまぶしい。


手料理が底知れずに人を回復させることは私だって知っている。私にも手料理のやさしい記憶は少なからずあるのだから。

そう、たとえばあの日、傷ついてボロボロなときに親友がドアノブにかけておいてくれた手料理。煮物と、ラップで正方形にぴっちり包まれた白ごはん、やさしい味の煮卵、ほうれん草のおひたし。ずいぶん泣いて過ごしていたけど、あのごはんを食べている間の涙は温かかった。

二日酔いで起き上がれない私に、かつての彼氏が作ってくれたおじやも忘れられない。その人との思い出はほとんど思い出せないのに、おじやのやさしい味だけは香水のように何年経っても記憶というより五感が覚えており、ふと食べたいなと思い、いい人だったなと思う。

そうやって私は何度も、人の作ったものに救われてきたのだ。だけど自分を救う料理を作ったことがない。人を料理で救ったこともおそらくない。

っていう人生だった。36年。
そしてそんなことをすっかり忘れていたある日、というかつい一昨日くらいのこと。私は無意識に手料理でご自愛した。
自分のためにフレンチトーストを作ったのだ。

わりと時間がなかったのに、どうしてもその日、その時間、フレンチトーストを作りたかった。おしゃれなカフェで食べるんじゃなくて絶対に自分で作りたかった。だって私はその日、本当に疲れていたから。

先週、仕事の繁忙期を終えかけたタイミングで息子がウイルス性胃腸炎になった。私は日に6回も吐物を処理していたのでもちろん感染した。

人生はじめてのウイルス性胃腸炎はすさまじい。食べることが大好きな私が2日間ゼリーしか食べられなかった。腹痛にもがき、ゼリーのエネルギーしかない私の仕事は満足できるものではなく落ち込んだ。

フレンチトーストを作ったのは、そんな地獄が明けた日の昼だ。不機嫌な息子を病院に連れていき、暴れまくるのをなんとかなだめてごはんを作り、食べさせ、部屋がぐちゃぐちゃなまま保育園に送り出し、帰ってきたその時。

やることは山積み、部屋はぐちゃぐちゃ。とりあえず部屋を片付けなきゃ。あの人に連絡しなきゃ。溜まってるメールボックス見なきゃ。昨日届いてた大事そうな書類見なきゃ。あの原稿さすがに進めなきゃ。とりあえず最低限のタスクを3時間以内に終わらせなきゃ。

そんな時に、そんな時だからこそ、一旦なにもなかったことにしてじっくりフレンチトーストを作りたくなったのだった。半ばヤケクソである。

私は作った。作りはじめた。
卵液にはキビ糖とはちみつを大さじ1杯分くらい多めに入れ、砕いた黒糖も少し入れた。そこに4等分した食パンを浸す。浸している間に部屋を片付け、メールチェックをする。

フライパンを熱し、バターを多めに溶かしてヒタヒタのパンをのせ、弱火でじっくりと焼く。バターがじゅわ、と溶け出していく様子を眺めながらスマホで必要な連絡を済ませる。

いまだ!というタイミングで裏返し、そこからまたバターと熱と、生焼けのパンがじっくり馴染み始める。ああいいにおい。いい時間。もうここからは仕事をしてはいけない。そっとスマホを遠くに置く。

完成しただいぶ甘めのフレンチトーストに、斜めに切ったバナナを添えた。普段バナナを切るなんてしないけど、切った。しかも斜めに。それらにホイップクリームとはちみつを足しながら食べた。

おいしい。
ああ…。おいしい。おいしいー

心の滞りがシュワシュワとほぐれていく。

これか、石原さとみさんが言ってたやつは。
何年も前に読んだ雑誌だったのに、突然思い出した。それくらい、瞬時に自分がご機嫌になったのがわかった。

そうか。私は今日、自分の機嫌を自分で取りたかったんだ。誰かの仕事でご機嫌になるんじゃなくて、自分の手でご機嫌になりたかった。だから作りたいと思ったんだなぁ。

もちろん、自分のためだけに作ったフレンチトーストはカフェで食べるほどのクオリティではない。だいぶ甘いし。だけど今私が食べたいフレンチトースト100%だった。

さすがに甘すぎたので後半はしょっぱくいきたい欲が出て、残りのフレンチトーストには目玉焼きとチーズを焼いたものをのせ、マヨネーズと黒胡椒とオリーブオイルをかけて食べた。うっま。うまい。うまいよ。

甘めの前半はとろけるようにおいしく、しょっぱい後半は土台の甘さと合わさってバカみたいな味だったけど、それが笑っちゃうほどうまかった。なにこの至福。なんかすごい。ご自愛がすごい。

たっぷりとフレンチトーストタイムをつくったことで、なんと私のご機嫌は1日中続いた。仕事もかなり捗った。

思えば、自分のための料理を作らなかった理由に「時間がもったいない」があった。買ったほうが絶対においしいのに、わざわざB級のものを時間かけて作るなんてコスパが悪い、と。

でも違うな。間違ってたな。むしろぜんぜんコスパいいな。
なんてったって、食べたいときに食べたい味を限りなく再現できるのは私なのだ。いてもたってもいられないような気持ちでフレンチトーストを作りはじめた瞬間の私にはこの景色は見えてなかった。作ってよかった。

ああそして、あの石原さとみさんにも、もしかしたらこんな風にいてもたってもいられない気持ちで料理をしはじめる瞬間があるのかもしれない。料理をせずにいられない瞬間が。料理って実はとっても素敵なことでありながら、とっても人間らしい行いなのかもしれない。

素敵な人も、こうやって自分に時間をかけてご機嫌を取り戻しているのだ。これからは時々、私もそうやって自分の機嫌を自分でとることにしよう。そして補充した機嫌で、夜は家族においしいものを作ってあげよう。


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