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チャイムと叔父さん

先日のこと。
小学校の前を通りかかった時、
ちょうどキンコンカンとチャイムが鳴り、

校庭にいた児童たちに教室へ戻るようにと伝える
先生の声の放送がかぶさって響き渡った。


私たちの人生は
いろんな”チャイム”で区切られていて
随分素直にそれを当たり前と思っている。

チャイムが鳴ったら
自分の個人的な思いには関係なく
何をするべきなのかを
与えられて、
そちらが最優先なのだ。

受け入れているともいないとも考える余地もないまま
人に時間を区切られることに馴染んで、
さらには自分でも時間を区切りながら
暮らしているのが、ワレワレ。

そんな斜めな感想を抱きながら
ふと思い出したのが、亡き叔父のこと。

叔父の人生はきっと
誰からも時を区切られていなかった。
”チャイム”とは、きっと生涯縁がなかっただろうと勝手に想像が進む。


私の叔父は昭和一桁の生まれで、
生まれてから人生の全部の時を
山の集落で過ごした人。

他のきょうだいが皆、町へと出て行ったのに
叔父だけは家を守るようにして
そこから離れなかった。

ちょっとウマヅラで鼻の穴が大きくて、
ガハハと笑う叔父に会うと
私はいつでも”土と太陽”を連想していた。

町の人からは感じることのない
純朴なパワーのようなものを
子供ながらに受け取っていたのだ。



叔父の家は
山の集落とは言っても
電気、水道、ガスは通っていた。
車にも乗っていたから
文明的な生活に遠かったわけでは、決してない。

でも、叔父が夕方の6時に床に入るのを
初めて目の当たりにした時、
子供だった私は心底驚いた。

本当に暗くなったら寝るんだ!と。

時計が6時をさしたから眠るのではなく、
暗くなったし眠くなったから、
寝ていたのだろう。

遠くに暮らした叔父のことを
よくよく知っていたわけではないけれど

たまに会う叔父からは
自然にごく近い生き方をしている人特有の
おおらかさと
力強さを感じていた。

それは今になって思うと、
私とは次元の違うことを
叔父は日々繰り返していたからなのかもしれない。


人が区切った時間で生きてはいなくて
人に区切られていない、山の道なき道を歩いていたり
人が区切ることすらできない清流を渡り歩いていたのが叔父なら、

チャイムや時刻表で時間が区切られていて、
人が舗装して区切った道路が縦横無尽にある、

そうした町で生きているのが、私だ。



昔、私の母が入院していた時のこと。
叔父が遠くから見舞いに来てくれて、
別れ際に「がんばれよ」と笑って
母の手をギュッと握った。

叔父を見送った後で母は、
『太陽の匂いがして嬉しかった』と言った。

母の表現がすごくしっくりきて
わかるわかる、と頷いたのを思い出す。

人はそういうことからエネルギーを受け取るのだろう。


小学校のチャイムから
何故か叔父の思い出へと
広がった空想に耽りながら

いつも通勤途中に立ち寄る広大な公園で
落ち葉を踏み歩いた。

にわかにでも土と太陽を取り込んでから
私は仕事場へと向かった。

美味しそうな柑橘


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