見出し画像

同僚は外国人 その1

夕方5時。駅への帰り道の同僚は、グローバルだ。中国人とモンゴル人、ネパール人、そして日本人の私。日本語が共通言語だけれど、みんな他に母国語を持つ人たちと仕事を終えて、最寄り駅まで一緒に歩く。
彼らは、先月から働いているデイサービスのいわば先輩スタッフ。みんな介護職で男性も女性もいるし、年代も20代から40代とバラバラ。日本に来た時期も経緯もそれぞれだ。

外国人のいる職場で働いてみたい、と以前から思っていた。娘が多国籍スタッフとともにバイトをしていた時に、「文化の違いが飛び交っていて面白い」と話すのを聞いたからだ。旅先で少し外国人と触れ合うのと、一緒に仕事をするのはまた全然違うのだろうから興味深いなあと、娘の体験を羨ましく思っていた。私もそういう環境で働いてみたいものだと思っていたら、狙ったわけでもないのに蓋を開けたら外国人の同僚に囲まれていた。

ただ断っておくと、彼らの個性にはなっから外国人というカテゴリーを当てはめているわけじゃないつもり。性格や人柄はあくまでも個性だと思う。でもやっぱり国が違えば言葉も違うし感じ方も違う。違いは大前提として存在しているとお互いに認識し合っている。中国人の彼は「僕は日本人じゃないから言葉を選ばないよ」とあえて言うし、モンゴル人の彼女は「ちょっとちょっと、どこ行くのそこの人!危ないよ!」と、認知症の男性に遠慮なく言ったりする。ネパール人の彼女も「食べた?片付けるよ」と箸をお膳に置くが早いか、容赦無く皿を下げていく。性格もあるだろうけれど、お国柄、というのもあるのだと思う。
一見すると冷たそうな言葉を投げたり行動を取ったりするものの、彼らはデイサービスを利用する方達ととても仲がいい。もちろんスタッフ同士も良い感じだし、私も彼らが居るから仕事に行くのが楽しいと思っている。それは、彼らの態度が率直ということだけでなく、仕事の手抜きがないからかな、と見ていて思う。いつでも一生懸命仕事をしている。やらずに誤魔化すとか、嘘をつくということがない。誰がどうしたということをハッキリさせるし、やれないことはやれないと言う。
「お待ちください」と言わずに「ちょっと待って!無理だよ!」と利用者さんに言ったところで問題が起きたりはしない。言葉が丁寧だけど気持ちが乗っていない、の真反対だからかなと、思ったりする。気持ちと要点が短い言葉に乗って、ちゃんと相手に伝わっているのだ。

日本人の感覚からすると『サボって』いることは、よくある。好きな時にお菓子を食べたりコーヒーを飲んだり、ということをするし、「もう疲れたー」と声に出して椅子に座り込んだりもするのだ。でも、それは『仕事をサボっている』こととは違うのだ。
「ユミさん、お菓子あるよ」と初めて仕事中に誘われた時はさすがに驚いた。その私に「やることをやらずにお菓子を食べていたら良くないことだけど、自分の役割は果たしているのだから、お菓子を食べることに何も問題はない。」と、きっぱりと言った。「コーヒー飲みたい時にコーヒー飲んで何が悪い?」と、喧嘩腰でもなく主張する彼らは、いつでも私にもお菓子や飲み物を勧めてくれる。

そう、彼らと話していて心地がいいのは、忖度がないからかなと思う。日本に来て20年以上経っているネパール人の彼女は「です」「ます」を時々使うこともあるけれど、3人とも基本的にフラットな話し方をする。日本人同士の場合、介護職と看護職の間には見えない壁ができてしまったり、私のように年齢の大きい人が新しく入ると遠慮が生まれたりすることが、割とある。でも彼らにはそれが全くないのが、すごくいい。職種の壁も年齢の遠慮もない彼らは、後から入った私にどんどん教えてくれるのだ。「ユミさん、これ知らないでしょ?はい、やってみて」とか「それ違うよ」とか「〇〇やった?」とか、とてもシンプル。仕事をするために入ってきた私に仕事を教えるのは当然のこと、そして仕事を覚えることがチームのためになるのだから早く覚えてね、という当たり前の話をスッと話すのだから、なんとも心地がいい。

一生懸命働いて、たくさんお菓子も食べて、時間になったらさっさと帰る。
なんか、いい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?