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地球はまるい。

当たり前だけど、意識することってあまりない気がする。


違和感のある風景

TOP画像ですが、私が生まれ育った離島の浜の風景写真。青い海、リーフの外側で白波が立ち、太陽の日を浴びて水面はキラキラと光っている。
曇っているけど、良い風景のように思うけど、ちょっと待ってね。
砂浜をよーく見るとたくさんのペットボトルらしきものが落ちている。
なんだろう。


青梅緑茶って日本の飲み物?


これは韓国語?

流れ着くゴミ

そうなの、韓国や中国、台湾、日本、いろいろなところからゴミ(主にペットボトル)が流れ着く。
それはもうたくさん。こんな風に。


横一列に並ぶゴミ


砂浜は白いのに

ゴミを捨てたのは

中国や韓国、台湾の人がゴミを捨てたから悪いのだろうか?
そもそも海に捨てたんだろうか。海流の問題だろうけど、海外のゴミが圧倒的に多い中、もちろん日本語の文字もちらほらと見受けられる。
逆に日本のゴミは海外に流れ着いてないのだろうか。
多分そんなことないよね。日本のゴミもきっと同じように流れ着いている。
悪意の有無に関わらず、きっと軽い気持ちで捨てたゴミがここに溜まっているのだと思う。
一人が捨てたゴミでないのだけはわかる。そうだよね。

ゴミを拾うのは誰か

ちょうど、この日役場の人を中心とし、ボランティアだろうか、ゴミ拾いをしていた。そう、海外の文字が浮かぶペットボトルは紫外線により褪色し、明らかに拾ってきる人が出したゴミではないけれども、ゴミを拾いをする人は必要だ。
なぜなら、プラスチックが自然に還ることはないから(バイオマスプラスックという自然に還るものもあるよね)
写真を見ても分かる通り、褪色したり、劣化したりするけど、消滅することなく、ここまで流れ着いているのだから、人の手によって介入しない限りずっとゴミは溜まっていく。
だから、ここに住んでいる身近な人がゴミを拾い、清掃する。
なんのために?

世界は回っている

自分が捨ててなくても、海も空もつながっているのだから、誰かのゴミが流れつき、誰かが汚した空気を吸うことになる。
じゃあ、それは誰かのせいであって、自分のせいでないかと言われるとちょっと違う。
実際、私も私が出したゴミがちゃんと処理されているといえるのかわからない。なぜなら、自分自身で最終処理まで行っているものではないから。
もしかしたら、私が出したゴミがゴミ収集車から落ち、海に出たかもしれない。ゴミ袋をカラスがつつき、そのゴミが風に乗りどこかに飛んでいったのかもしれない。
地球がまるい限りゴミは循環していき、今日、目の前に繰り広げられた光景のように、私に現実をつきつけてくるのかもしれない。
地球は丸く、世界は回っている。私は何をしようかな。何ができるかな。

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