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コロナ療養期間に気づいた健全な家庭をつくっていくために大切なこと

わが家にもついにコロナがやってきました。

娘の発熱からはじまり
あれよあれよと兄妹、わたしたち夫婦へと、その感染力には太刀打ちできず。

コロナ禍になり早3年が経とうとしている現在
その実態と世の中の仕組みや風潮が本当に合っているのか。。?
と、色々思うところはあるけれど
日本社会のルールに抗うことはなかなか難しい。

結果、11日間の自宅療養の日々となりました。

3歳・5歳・7歳の子供と缶詰め状態の長い時間。
実は、意外にもそこまでストレスはたまりませんでした。
なんでだろうか?むしろ色んな事がデトックスされている。

結果的にそのように思えたこの日々のことや
気づきを10個
備忘録として残しておこうと思います。

①最初は判断と連絡と調整に追われる

意外にもストレスは溜まっていない
と冒頭に言いましたが、「溜まっていない」というだけで大変な瞬間がたくさんあった事は事実です。
家族内で感染がはじまり、コロナだと判明した瞬間から、わたしも夫も頭の中がものすごく忙しくなるタイミングが最初にありました。

  • 保育園や小学校への連絡3人分(都度こまかく説明)

  • 発熱外来への問い合わせや指示待ち

  • 職場への連絡

  • 仕事の調整(依頼・指示・確認など)

  • 予定していたスケジュールの延期調整

などなど。とにかく判断する事と連絡する事がいっぱいありました。

それに加えて、子供たちもいつもと違う状況に
「ほいくえんいつまでやすむん?」
「きょうなにするん?」
などと、3人から同時にあれこれ質問攻め。
ただでさえ頭の中のパニックを冷静に整理しようとしている身として、その瞬間ばかりはわたしも夫も頭から煙が出そうでした(笑)

「ちょっと電話してくるね」と、
電話するときは必ず別部屋か夫は車内が良かったようでそれぞれ移動して話し、もう一方が子供たちを部屋でみるようにするなど、なるべく煙が出ないように夫婦で配慮をしてたように思います。

②子供のグズりへの対応

これだけ長く籠もっていれば、当然子供がグズる事やギャーギャーと兄妹げんかになる事は多発します。わが家は幼く歳の近い三兄妹なのでそこから逃れることはやはり難しい。
ただ、いつもと違うのは「ワンオペではない」ということ。
これまでワンオペ休日が当たり前だったわが家にとって、夫が家にいるという事がこの難をとても小さな難にしてくれました。

ぐずりや喧嘩は、何かしらの感情表現や訴えであり、そうなる理由が必ずあります。そして経験も語彙も未熟だからこそおこる事。そんな事は頭ではわかっていながら、ワンオペの時というのは毎度その対応に困惑してしまいます。
原因の一つとして考えられるのは、子供の気持ちを受け止める事や待ってやる事、自分で気づけるように言葉がけする事など、その役割を一人ですべてやる場面が多くなるからではないかなと。
母親であるわたしにも当然感情はあるし、その時の状況によっては待ってやる事が難しいこともある。それらの役割をすべて一人でやるという事は、時に自分の都合や感情を抑えなければならず、それが慢性化すると心身に淀んだものがどんどん溜まっていくといった具合に。

夫がいる事でどう上手くいったか。
例えば、どちらかが子供の対応にイライラしていたら、もう一方は子供の気持ちの受け止め役になったり、そうする事で子供のグズりも長引かず、その間にイライラした感情も鎮まっていく。
例えば、小出しに夫に愚痴ることができたり、毎度の兄妹げんかに対して、どうしたもんかねぇ。。と気持ちをその場で共有できる。
などなど、イライラする感情や、なんだかなぁ。。と思うモヤモヤした気持ちは瞬間瞬間にはあったものの、気持ちの切替をする為の役割分担や共有がその場にある事で、夫婦と子供たちがそれぞれ溜め込まず淀まずにいられたのです。

健全な状態というのは、「色んな感情と上手に付き合う事ができている状態」というのを何かで読んだ事があります。
怒りや悲しみなどの嫌な感情、不安やストレスを「無くす」という事は難しく、豊かに生きる上ではむしろ多少あったほうがよいといいます。
良くないのは、それらを「溜めこむ」事。
消化しきれないまま溜まっていった後にあらゆる悪循環を生んでいく事をこれまでの経験から痛感している者としては、今回はまさに、それらと上手に付き合うことができている状態を体感できたような時間でした。
普段の家庭での役割バランスがいかに不健全かという事だね(笑)と夫とも笑って話していました。

③わが家の感染対策について

3人の子どもたちとずっと一緒にいながらの感染対策はほぼ不可能で、そこは最初から半分あきらめました。
(※これは、もともと基礎疾患などがなく結果的に家族みんなが後遺症もなく元気になったから言える事です)
わが家は1階と2階で二世帯構造になっているので、両親とわたしたちは完全に隔離させましたが、同じ家庭内で母子を隔離するなどはなかなか無理な話。

あとは夫より先にわたしが感染してしまった経緯もあり、その間は夫がすでに感染している子どもたちの世話をしてくれていたので、せめて夫だけも隔離するということも難しい選択でした。

やった対策といえば夫婦がなるべくマスクをする事と、気が付いたときは消毒をする事。
「感染対策」にキリキリするよりも、少しでもストレスなく家で過ごすことのほうがわが家では優先順位が高かったです。
両親側は、義母が対策を徹底していた模様。

④暮らしをまわす人が常にいた事に救われた

感染した順番的に
わたしが床に臥している時は夫が
その逆のときはわたしが元気でした。
それが不幸中の幸いで、元気なほうが子どもたちのことや家事を担うことができ、暮らしをまわす事にあまり苦労はありませんでした。
普段仕事で家にいる事が少ない夫ですが、家事は日頃から協力してくれていたので、その辺ができる人で本当に良かった。
そして何よりも、義母の徹底した感染対策により、自身は感染せず元気でいてくれたおかけで、まとめて買物に行ってくれたり、おかずを作ってくれたりが本当に救いでした。
外に出られない閉塞感がありながらも、家の中の暮らしはとてもスムーズにまわっていました。

⑤食事は「ごはんと味噌汁」と最初に決めた

療養期間が長くなることは最初からわかっていたし、食欲がある人と無い人がその時々で混在していたので、食事のメニューは「ごはんと味噌汁」作るのはそれだけ!と最初からその基本を夫婦間で決めました。
味噌汁は色んな野菜や豆腐、きのこ、ワカメなど具だくさんにすればおかずにもなります。
ごはんを炊いて、常備しているキムチや鶏そぼろなどご飯のおともがあればそれでよし。
数年前に夫の勧めで、土井善晴さんの
「一汁一菜でよいという提案」という本を読んだ事が一つのきっかけかもしれません。
ごはんと味噌汁があればそれでいい、むしろそれがいい、というような内容で、
表立ってそういう主義ではないけれど、そういう価値観があるという事は夫婦で共有していました。

なのでそこに手抜き感や罪悪感といった気持ちは一切なかった。むしろ、おいしいね〜と言いながらそんな食事がいつも心身に染みわたっていました。

子どもたちが、つくりたい!という場面も多く、お手伝いというよりは、一人でやらせてみることも。
子どもとの料理は忍耐がいるので大変だけど、わたしの中ではかなり忍耐強くこれまで積み重ねてきたこともあるので、だいぶ安心して見ていられるようになりました。
お米をといでごはんを炊くことや、みそ汁の味噌の加減などを味見をしながら自分でやってみるなど、この期間に上の子ふたりはまた一歩上達したように思います。
「ごはんが炊けてみそ汁を作ることができれば、とりあえず生きていけるわ!」と、がんばった子どもたちに太鼓判を押してやりました。

加えて義母が煮物やキンピラなど、身体に優しいおかずをつくって用意してくれる時もありました。
朝はパンの時もあったし、みんな食欲が出てきてからは、お昼は簡単にできるレトルトのパスタやラーメンなども食べたりしてたかな。
メニューを考えるストレスは一切なく、わりと心身健康な食生活をしていたように思います。

⑥1日のタイムスケジュールを書いて貼っておいた

家の中に1日中いる事で、こうはなりたくないなと一番思ったのが、「ダラダラ過ごすこと」でした。
もちろん、具合の悪い人は寝ていたし、意識的にダラッと過ごす時間もありました。
嫌だったのは、ダラダラTVをずっと見てるとか、ダラダラとおやつを食べるとか、大人も子供もメリハリがなく生活リズムも崩れるという事にはなりたくなかった。

療養期間に余計に具合が悪くなる事にはなりたくないし、できるだけ健全に過ごす方法として、1日のタイムスケジュールを子供たちと決めて書き出し、リビングの壁に貼りました。

実際のタイムスケジュール


まったくこの通りにいくわけではありませんが、時間や流れのベースをなんとなく決めておく事で、子どもたちも自然とそれを意識して過ごしてくれたように思います。
3人が遊びに集中する時間やTVの時間には、わたしと夫が仕事をする時間として少しですが集中できたりもしました。

あとは、体力の低下がやはり心配だったので、やらないよりは〜程度ですが「運動」の時間もつくりました。
息子は「令和版ビリーズブートキャンプ」が気に入ったようで(笑)それをやる時は学校の運動服に着替えてやるほど気合が入っていて、連日1〜2時間やっていました。
娘ふたりは、運動会でもやっていた「ホッとあっとなんと体操」という地元民ならではのローカル体操を午前と午後に2回づつやるというのが習慣でした。
それはわたしも一緒にやりましたが、真剣にやると体がポカポカしてくるほどで。
起床と就寝時間もリズムが崩れることは最後までありませんでした。


⑦換気と掃除機がけはこまめにやった

わたしは自分の生活空間の床にホコリと髪の毛が落ちてる状態が苦手です。床の状態が気分にも影響するので、普段から気づいたらパッと掃除機がけできるようにコードレスタイプの掃除機を手に取りやすい定位置に置いています。
家の中にずっといると、気分や空気も淀んできてしまう事が往々にしてあるので、気になる所はすぐに掃除機をかけて、ついでに換気やなんとなく散らかった物を整える事を1日に数回意識的にやっていました。
それが家の中にずっといながらも気分の切替やスッキリした気持ちにリセットする事に少しはつながっていた気がします。

⑧なかなか普段やれない事ができた

家事や子供たちの世話、在宅でできる仕事をしながらも、元気になってからはいつもより時間にゆとりがあったので、私も夫もここぞとばかりに普段はなかなか余裕がなくてできない事をしていました。

その中でもわたし的にこれができて良かったと思ったのが、「季節物の入れ替え」
いつも季節の変わり目になって、やりたいのになかなか一気にできないのが結構ストレスでした。
衣類の入れ替えと、扇風機の片付け(やっと笑)、冬物のカーペットに入替えなどなど。
これからの寒さ本番時期に備えての準備をしてしまう事ができました。
これで、やりたいのにできてない。。という気持ちのモヤモヤが無くなり、準備万端!前のめりで色々頑張れそうです。

⑨家庭外のサポートや気遣いに助けられた

長い療養期間中、現状を知らせていた実家をはじめ、なんらかのタイミングでわが家の状況を知ったお友達のお母さんや友人、たくさんの人が心配して気にかけてくれました。
実家からは「りんご置いといたよ」とか、「お土産のあんころ餅持っていきます」などと、玄関前に届けにきてくれたり。
お友達のお母さんは「おもちゃ貸そうか?」と、子供たちが飽きない用におもちゃを持ってきてくれたり。他にも心配して電話やメッセージをくれた人、同時期に療養中で連絡を取り合う事で心の支えになった人、みなさんの優しさがとても嬉しいなと思いました。
仕事面でも、わたしがいなくても繁忙期のアトリエでの制作を稼働してくれた作り手さんがいて本当に助かり、感謝だなと思いました。

⑩子育て家庭を健全に保つには

子どもの年齢や兄弟姉妹の構成、家族一人ひとりの性格や性質、家庭内の人間関係によってもできる工夫やその効果はまったく違うと思います。

家庭や暮らしを健全に保っていくためにはどうしていけばよいか、わが家にとっての良い方法は何か。

この11日間がただ過ぎ去るだけではなんだか悔しいので、何かを得てやるーー!と、色んな事を意識して過ごしてみた結果、そのヒントが沢山得られたような日々となりました。

暮らしをまわす上での役割分担
感情と上手に付き合うための環境づくり
生活の中でメリハリやon-offをつくること
淀まず清々しくいる為に備えること

うちの場合はこういうことが整う事が、色んな好循環につながっていくんじゃないかなと感じています。

この時間の意味を見出したい

長い療養期間を経て、息子は元気に登校し、娘ふたりもニコニコ登園してくれた事にひとまずホッとしています。
今回の事で夫ともまた色んな話をしたり、共有できた事がありました。
コロナになっても、この時間の意味を見出して次に繋げたい。半分執念みたいなところもありますが(笑)

解放されたその日は、雲ひとつない秋晴れの空でした。この日々で溜め込んだものもなく、むしろデトックスされて清々しささえ感じられた。

今回得られたこの気づきがまた次につながっていったらいいなと思ったのでした。




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