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広島・尾道プチツアー

植本一子ちゃんと、広島・尾道のプチツアーをした。
いちこちゃんと初めて会ったのは、2017年だった。「ピンヒールははかない」を書いているときに、弟分のるいくん(映像をやっている島本塁)が「植本一子さんの本を読んでみたらいいと思う」と勧めてくれて、読んでみたら、その「向き合っている感」に感銘を受けて、本が出たときに、「植本さんに会いたい!」と、朝日出版社の編集者のあやめん(綾女欣伸)に仲介をお願いして対談が実現した。初めて会った植本さんは、想像していたよりもずっと柔らかく、繊細な人で、シャイな人なんだなと思ったけれど、話は想像以上にはずみ、楽しい対談になった。

今年の春、東京アートブックフェアの分展で再会し、夏の本展で一緒にブースを出すことに決めた。そのときに、「広島行ったことないんだよね」と話したら、行こう行こう!と盛り上がり、あっという間に、広島のリーダン・ディートと、尾道のウシオ・チョコレートとの間でトークを決めてくれた。そして、この週末を一緒に過ごした。

考えてみると、お互い日記の本を書いているわけだ。いちこちゃんはとてもパーソナルな日記を。そして私は、社会観察日記を。



思えば、私は、国内を旅行することに興味を持つ前にアメリカに行ってしまい、本を出してようやく日本国内を周り始めた。とはいえ、声をかけてくれる場所から順繰りに行っていて、これまで広島とは縁がなかった。

日本人として、広島に、そして原爆資料館に行ったことがない、ということに、ずっと提出し忘れた宿題があるような罪悪感を抱いていた。だから、広島出身のいちこちゃんと縁ができて、今回、ついに広島行きが実現する、それも大好きな人と!ということがとても嬉しかった。

たまたま直前に会ったEatripの野村友里さんに「広島に行く」と言うと、「厳島神社に行きたかったんだよね」という。おまけに前日に、友達が手掛けたnode hotelというホテルがオープンするというのでそこに宿泊し、厳島神社に行って、午後、いちこちゃんと仲間の編集者たちと合流して、原爆資料館に行った。

ちょうど、いちこちゃんの「台風一過」にニューヨークの911メモリアルに行くくだりがあった。自分は911のテロが起きたときにニューヨークにいて、メモリアルとミュージアムがオープンしたときには取材にも行った。これまでホロコースト・ミュージアムをはじめとする「歴史の中で起きた悲劇を伝える」ことをテーマにするミュージアムについても、時々書いてきたこともあって、そんなことを考えながら。

大惨事を歴史に残すためのミュージアムに行く、という作業は楽ではない。けれど、そうした場所を訪ねるために、わざわざそこに足を運び、辛い事実を直視することを選択する人たちが多数いるということに勇気を得る。

最近リニューアルした原爆資料館を訪れて、たくさん知らないことがあった。原爆のことは、読んだ本も少なくないし、毎年、8月になると新しい記事も出る。どこかで「知ったような気持ち」になってしまう部分もあるのだ。けれど自分が足を運んでみると、やっぱり知らないことが多くて愕然とする。特に、衝撃を受けたのは、原爆を体験をし、生き延びながらも、その後遺症に苦しんだ人たちの「その後」だった。働けなかったり、病院に何度も逆戻りしたりする人たちのことを「ぶらぶら病」と非難した人たちがいたという。

無差別に大量の人々が亡くなったあれだけの規模の悲劇のあとでも、被害者叩きがあったのだという事実に愕然とする一方で、今の世の中でも、被災者、性暴力の被害者といったあらゆるタイプの被害者がバッシングに晒されているわけで、驚くことでもないのかもしれない。


広島の書店リーダン・ディートで行ったトークではそんな話もしたし、お互い、今、学びつつあるフェミニズムに目覚めた瞬間のこと、親との関係のこと、日記を書くという行為について話した。翌日の尾道でのトークでは、ヴィーガンのチョコレート。メーカー<ウシオ・チョコラトル>のシスターブランド<フー・チョコレーターズ>の後関麻里奈さんと3人で、こちらもフェミニズムの話を中心に。

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