あらい

9年目の移籍

とても個人的なことだが、私は3月1日から部署の異動が決まっている。
今の会社には新卒で入社し、最初に4年間営業をしたあと
今いる部署に異動となり、8年間在籍していた。
ちなみに異動が決まったのは先週のことである。
信じられないけど、そういうスピード感の会社だ。

そしてついに昨日最終日。このご時世もあって、現在在宅勤務となっており、最後に部署のメンバー全員と対面で挨拶することは叶わなかった。まさかの事態だった。

しかし、定時の時間に約50名の部署のメンバーが、オンラインミーティングでつなげてくれており、部長からのメッセージも用意してくれていて、更に全員からメッセージを一斉に送ってもらい、オンライン上でもその気持ちがダイレクトに伝わってきて、涙が止まらなかった。
画面越しであったが、今まで一緒に働いてきたメンバーの顔が見れて、本当に嬉しかった。50名中25名程度は自分の直属の部下だったし、8年のうち沢山の時間を一緒に過ごしたメンバーが沢山いた。8年間頑張ってきてよかったなと心の底から思えた。これは自分で自分を誇れることだったなと。

そしてそんな感傷的な気持ちで、ひとしきりPCの前で泣いた金曜日が終わり、今日土曜日の朝、いつものとおりフロンターレのシーチケ特典DVDを見ていた。(いつもの通りというところがポイント。笑)
私が一番好きなのは「EVER BLUE」のコンテンツだ。1節から34節まで試合やその前後のイベント等を音楽と共に振り返る内容となっている。

もう届いてからすでに最低でも5、6周はしていると思うのだが(見すぎ)、今日は何故か途中から涙が止まらなかった。
それが何故なのか、最後の34節、アウェイ札幌戦まで見て、少しわかった気がした。
と同時に、新井選手の今年の移籍についても想いを馳せてみた。

新井選手が何故移籍したのか、なんてことは当の本人にしか本当の理由なんてわからないし、たとえばお金の面の待遇とか、環境だったりとか、家族の関係だったりとか、本人が公式に語っている事以外にも色々あるのかもしれない。

ただ、ルヴァンカップで驚異的なパフォーマンスを見せ、文句なしのMVPをとった彼がまさか移籍するなんて、1サポーターとして、夢にも思っていなかった。
普段の行動や言動でも、フロンターレを愛していたことがビシビシと伝わる本当に熱い選手であったし、新井選手の居ないフロンターレはちょっと想像すらしていなかった。
かつ2019年後半は非常に活躍を見せていたので、2020シーズンは冒頭からスタメン定着するのではと考えていたので、ついに彼がフロンターレで花開く時が来るんだなあと感じていた。

色々な意見があると思うが、少なくとも私はそんなふうに感じていた中での、突然の千葉への移籍だった。

そんな中で、今回自分自身が、部署を異動をするかどうか決めるにあたって、迷い、考え、決断した中で、新井選手が何故移籍を決めたのか、というところがほんの少しわかったというか、なんとなく共感するところを感じた。

今回の私の異動は急ではあったが、会社の辞令ではなかった。
異動しないか、というオファーがあって、断る権利も自分にあったという珍しい形だった。
社運をかけた大きなプロジェクトがあり、そこへの異動のオファーがあって、行くか行かないかはメンバー自身と上司の意思次第でどうにでもなる状態ではあった。

上司からも、残ってもらいたい、後継者として考えているから、という風に言ってもらえたし、そのポジションは自分が前から目指していた所。
実際新しい場所でチャレンジして、今と同じようなパフォーマンスが残せるかどうかなんてわからないし、また新しいメンバーと関係性を構築するのはとてもハードで、不安が沢山あった。
なので、一度は残りたいという意思を伝えて、この話は一度終わった。

しかし、その後、異動先の役員から呼ばれたり、過去の先輩と話す機会があり、ぜひ来てほしいと言われ、自分のスキルを求めてくれている場所があるんだと知った。それがとても嬉しくて、一気に自分の心が揺れた。
また今まで今の場所でしかやっていなかった中で、未知の世界で自分の力がどれほどまでに通用するのか、新しい知識やスキルを吸収できるのか、ちょっと試してみたい自分がいた。
前述した不安と、この未知へのワクワクというのはいつも天秤にかけられるものなのかもしれない。

結果私はやっぱりチャレンジしたい気持ちが勝った。

話をフロンターレに戻すと、DVDを見ていて、いつも新井選手はベンチだろうがスタメンだろうが、チームの輪の中にいて、いつも鼓舞していた。メンバーもきっととても信頼していただろうし、そのいつでも準備を怠らない姿勢に、励まされた選手も沢山いたんじゃないかなと思う。

そして新井選手自身も、2019年の1年間を通して、そんな信頼関係を構築したメンバーが沢山いる中で、自分の力が発揮できたことはとても嬉しかっただろうし、何より誇りに思えることだったんじゃないだろうか。

GKのスタメン争いは、フィールドプレーヤよりももっともっと過酷だ。
だからこそ、そんな中に安定し、確約されたポジションなんてものはないとは思うのだが、新井選手は2019年の後半にかけての活躍で、2020年は今よりもっとフロンターレの中心選手として活躍できるだろうという状況だったのではないかと思う。

ただそこで、自分にチャレンジを課し、新しい戦術、新しいメンバー、新しい環境、新しいチームでやろうと決めた新井選手の気持ちが、今ならなんとなくわかる。あくまで私の想像ではあるのだが、きっと新井選手の強いチャレンジ精神が、愛すべきフロンターレからの卒業を決断させたのではないだろうか。そして自分を求める、新しい場所へでの挑戦。

慣れ親しんだメンバーやチームの環境というのは本当に心地よく、幸せなものだ。同じ目標に向かって日々練習し、試合で勝利したりときには負けてしまって、楽しさや苦しさを共有した仲間というのは、そんな簡単に出会うことはできない。長い年月があって初めてそういう関係になれるというものだ。DVDでも勝ったときの選手の表情は本当に素敵だ。あんなにキラキラした笑顔を共有できるチームメイトというのは、本当にかけがえのない存在だと思う。

そして自分もまた同じだった。

8年間色々なことがあった。私はいわゆるプロマネ的な仕事をしているのだが、色々なプロジェクトを立ち上げ、うまくいくこともあればそうでないときもある。周りの合意形成が取れずに悔しさを共有したり、うまくいってクライアントや会社に貢献できた!と一緒に喜びを分かち合ったメンバーが沢山いた。彼らとずっと一緒に仕事ができたら、ときには辛い仕事でも、なんとか頑張れるし、楽しんで仕事ができるなとそう思っていた。

フロンターレのDVDを見ていて、涙がでてきたのは、やっぱり苦楽を共にした仲間(ときにはライバル)っていいなと思ったからだ。この気心しれた熱いメンバーと、また次のシーズンも戦えたら、春夏秋冬をいろんな感情で過ごせたらどんなに幸せだろうか。自分に置き換えてみたときに、あまりにその過去の経験はキラキラしすぎていていて、手放すには惜しかった。

しかし、やっぱり私はこの性格もあって、安定よりもチャレンジに惹かれてしまう。もちろん元の場所でも沢山のチャレンジはある。だが、自分が得意分野でのチャレンジと、未知の場所でのチャレンジ、どっちのほうがよりハードルが高いかでいったらきっと後者だろう。人の生き方はそれぞれだが、私はやっぱり常に挑戦できる場所に身を置いてみたいと思った。

不安はめちゃめちゃある。やってみてもだめなこともあるかもしれない。自分に向いてないかもしれない。だけど、やってみないとわからない。
そんな気持ちで、次の春に挑もうと思った。社会人13年目の春を前に、挑戦を自分に挑もうと思います。

ちなみに、こんなこといったらなんだか軽く見られそうだが笑、異動を迷っていた3割ぐらいは上記の理由の他に
「もう平日のルヴァンやらアウェイやらにはしばらく行けなくなるかもしれない」
ということだ。
もともとのポジションであれば、そのあたりは正直結構融通が効いた。メンバータスクというよりマネジメント中心だったし、出張なども自分の意思でどうにかすることも多少はできたので、2019年はほぼ参戦できたというところも多分にある。

仕事も大事だが、プライベートも大事だし、今の私にとってはフロンターレは本当に大事な生活の一部だ。それを失ってしまうのも本当に苦しい決断だった。

だけど、そこも自分なら出来る限りどうにかすると思った。笑
「いけるなら絶対いっとけ!」
これは私が大好きなKREVAの歌詞にあるのだが(ちょっと意味は違うとおもう笑)、その精神で、今年も行ける試合は参戦したいと思う。異動してすぐの平日午後休はハードルが高すぎだが、幸か不幸か、2週間のJリーグ中断中である。その間にどうにかして、行ける体制ができないものだろうか。

そんな、決断の春です。
新天地で頑張る選手に負けないように自分も頑張ろう。
すでに新井選手は千葉で大きな存在感を放ち、中心的メンバーとなり、素晴らしいパフォーマンスを発揮しているようだ。


そして、自分は変わらずにフロンターレで輝いている選手のことも、応援しながら元気をもらおう。どんなに苦しい状況になっても、大好きな齋藤学選手も色々乗り越えて頑張ってるんだ、そう思えば、乗り切れそうな気がする。

新井選手は8年目の移籍だった。
私は、9年目の移籍。チャレンジの春だ。