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澱みの中に「怒り」の感情を見つける

休職前の話。
ベテランの同僚が、思春期の子たちの心の状態を「瓶の中に入れた泥水」に例えていました。
最近はこの話をよく思い出すのです。

その先生が言うには、思春期の子たちは、自分の気持ちが自分でもよくわからないのだと言っていました。
当時、中学2年生の娘さんがいたその先生は、家で娘が突然泣き出したので「どうしたの?」と声をかけたそうです。
娘さんは落ち着くまで泣いた後、
「わからない…。」
とポツリと呟いたそうです。
その数日後、冷静になった娘さんは、泣いた日の気持ちを自分の言葉で整理して母親であるその先生に伝えたのだとか。

そこまで私に話してくれた後、先生は
「心の中がぐちゃぐちゃなんやろうなぁ。ほら、瓶の中に水と泥いれて振った時みたいな。たぶん、あんなふうになっちょんのんよ。でも、時間が経つと、泥の粒子が水の中できれいな層を作りながら沈殿していく。だから、後になってやっと自分の気持ちがわかってくるんやろうなぁ。」

あー。なるほどなぁ。
振って撹拌された泥水か。と。
頭の中で、泥や砂利や砂が綺麗な層をつくっていく様子を想像して、「なんて綺麗な例えなんだろう」とも思いました。

この時の先生との会話を思い出した時に、この泥水の例えって、思春期の子たちにだけでなく、心が掻き乱れてしまっている大人たちにも当てはまるのではないかなぁ、と思ったのです。


秋ごろから機能不全家族についての投稿を始めました。
私の原家族はありがたいことに両親は高齢にさしかかるものの、普通に生活できるレベルで健康です(もしかしたら伝えれていない不健康な部分があるかも知れませんが)。
とはいえ、父と兄と関わり合うのは何年経っても難しく、ついつい機嫌を伺ってしまい、実家に帰ったり、電話で話したり、LINEの返信は疲れてしまいます。
幼少期から、父や兄の機嫌を損ねないように立ち振る舞っていたため、大人になった今でも旦那さんに

「どうしてそんなに人の機嫌を気にするの?俺は機嫌なんて悪くないから大丈夫だよ?」

と言われてしまいます。

学校でも職場でも、誰かが機嫌を損ねていると、自分が原因を作ってしまったのかもしれない、と考えてしまいます。
30歳を過ぎると少し図々しいメンタルになってきたので、「他人は自分のことなんてそれほど考えてないんだ」と思えるようになりました。

妊娠を機に起きた実家とのトラブル以降、実母としか連絡を取り合っていないので、実家に対してのストレスや精神的な負荷は以前ほどはないものの、友人や同僚から「実家を頼っている」「帰って楽をさせてもらった」というような話を聞くと、もやもやしてしまうのです。

産後、辛くなったら誰を頼ればいいんだろ。

もちろん、親族だけを頼らなくても、自治体のサポートを受けることもるできます。妊娠初期に自治体のサポートをすでに受けていたこともあって、妊娠後期あたりに様子を聞いてくださったり、産後に使えるサービスについて情報提供をしてくださったり。
実家とトラブルになった時に、勇気を出して自治体のサービスに問い合わせてよかったと心の底から思いました。

実母は、同居する父と兄の機嫌を伺いながら暮らしています。
「お父さんの機嫌が悪くなるから、早くしなさい」「機嫌が悪くなる前にこうした方がいい」
「兄が落ち込んだり、暴れたりするかも知れないから、結婚の話はまだ兄の耳に入れないで欲しい」
「兄が近くにいるから、電話はまたあとでかけ直すから」

など。家の雰囲気がなるべく穏やかになるように細心の注意を払いながら過ごすのです。もちろん、この母親の過剰な気遣いによって私や母親の生活が守られた部分もあったのだとも思います。
だけど、

友人の家族や世の中に存在する家族も、こんな感じなのかな。こんなに気を遣って過ごしてるのかな。
と思うと切なくなるのです。

父や兄(昔は専ら父でしたが)が感情的にならないように、自己犠牲的に行動する母親に対して、20代前半までは
「なんて母親はかわいそうなんだろう」
と思っていました。

小学生の時に母に質問したことがあります。
「なんでお父さんと離婚しないの?」
と。
母は
「あんたたちがおるから、できないよ。」
と言ったことをよく覚えています。

自分たちのために、母親は離婚できないのだ。
当時はそう思いました。
「母親に幸せになって欲しいけれど、自分たちがいるから幸せになれないのか。」
と、何もできず守られてばかりいる自分に対して、いつももどかしさを感じていました。
何もできない分、母親の愚痴を聞いたり、母親が笑ってくれるようなしょうもない冗談を言ってみたり、母親の期待に応えたくて学校生活にも適応して勉強もそれなりに頑張っていたような気がします。
そんな自分のことを「親孝行な娘なのだ」と口には出さなくても自負していました。今思うとヒロイズムに酔っていたようにも感じられます。

自分の心の変化を感じ取るようになったのは大学時代でした。大学の保健管理センターでカウンセリングを受けるようになって、母親に対して持っていた「哀れみ」「感謝」「尊敬」といった感情が、次第に「不満」や「怒り」へと変化していったのです。

養護教諭の資格を持っていたのであれば、発達障害などの知識もあったはず。なぜ私が自治体に相談しに行くまで兄を病院を連れて行ってくれなかったのだろうか。
なぜ兄と向き合わず、兄以外の環境要員(私の言動など)を動かしてきたのだろうか。対処療法的な対応になって、なにも改善しないじゃないか、など。

まさに、気持ちがぐちゃぐちゃに攪拌されて、澱みまくっていたのです。

ずっと大好きだった母親にネガティブな感情を持っていたことを自覚した時に、すごくショックでした。
私がこれまで寄せていた母親への親愛の気持ちは偽物だったのだろうか。これからどんな気持ちで母と接すればいいのだろう、と悩んだものです。


出産をあと数日に控えた現在でも、突然母に対して「怒り」の気持ちが湧き上がってきて落ち込んでしまう瞬間が度々あります。
自己犠牲的な振る舞いに苛立ち、労いの言葉が出にくくなってしまっている自分にも虚しさを感じます。このように、私は定期的に自分の心を攪拌して澱ませてしまうのです。
ただ、以前よりも澱みがすぐになくなり、自分の気持ちが地層のようにフラットになるのも早くなったのかなぁとも感じられるようになりました。

母に対して、「かわいそうだ」と憐れむことに疲れてしまいました。

そんか私が最近になって自分の中で出すことができた結論は、「母親が幸せになれなければ、娘である私も幸せになれない」ということです。

自分の平凡で穏やかな生活が、母親の自己犠牲で成り立っていると思うと、「自分だけ幸せに生きること」に罪悪感が出てきます。
旦那と2人で穏やかに過ごしていても「こんなに幸せでいいのだろうか、これから先に大きなトラブルやストレスがかかるのではないだろうか」といつの間にか不安に襲われてしまいます。

父と兄と同居している母。母だけを引き離して別の場所で生活させてあげられたらいいのだけれど、母は兄のことが気になるのだろうし、なかなか自らの意思で距離を取るという選択はしなさそうです。
母も、「母親としてこうしなければならない」という責任感に苦しんでいるのかもしれません。

私ももうすぐ母親になります。
お腹には女の子の赤ちゃん。
高校時代までの私と母の関係は、ひょっとしたら見る人によっては美談的に映るかもしれません。
(共依存的だったとも言えます。)
私は自分の娘に、同じ思いをさせずに育てることができるだろうか。といつも思います。
母親になれば、さまざまな場面で「自分より我が子」と子ども中心の生活になると思います。
どんなに子ども中心に生きていても、我が子に不満を持たれたり恨まれたりすることもきっとあるでしょう。

私に、しっかりと娘を育てることができるだろうか。
自分の母親に色々と思うところがありすぎて、いずれ自分も娘に同じような感情を持たれるのではないのかと不安が過ったりもします。

だけど、不妊治療までして望んで授かった子です。

母親として子育てができる喜びを噛み締めつつも、「1人の女性」として自分の人生を生きているという自覚を忘れないようにしたいとも思うのでした。

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