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【短編】打ち上げ花火が目に焼き付いた話

ノベプラからの転載です。「夏の5題マラソン」参加作品。

 花火には気をつけな、と祖父はよく言っていた。
 火を使うからだろうと私は思っていたが、どうもそうではないらしい。

「下手な花火はな、目に焼き付くんだよ」

 祖父はそう言って毒づいた。

「最近は、ちいせぇやつは大量生産のが多いだろ。だからまだ大丈夫だ。だめなのはでかいやつだ」
「でかいのって、打ち上げ花火のこと?」
「そうだ。空で咲ききれなかった花火の欠片がな、目に焼き付いて離れねぇ。ありゃ、職人の腕がわりぃんだ。ぜんぜんまだ若ぇんだな。花火がなんたるかを全然わかっちゃいねぇ」

 祖父の言い分はそんな風だった。
 さっぱりわからなかった。

 目に焼き付くなら、良い事ではないか。
 記憶に残る、良い花火だったということだろう。
 私は首を傾げるばかりだった。

 あれから数年経ち、私は大人になった。だが、あれはどういう意味だったのかいまだ理解が及んでいない。
 何度か花火会場に赴いたこともあるが、それらしい花火の欠片などというものにはとんとお目にかかったことは無い。

 それにこの年は感染症予防の為に、人の集まる行事はことごとく中止になっていて、そもそも花火を見る機会が奪われていた。
 ところが、私がコンビニから帰る途中のことである。

 ぱぁん――

 上空から音がした。
 人の密集を避けようと、告知なしで行われた疫病退散の花火だった。近くで行われているらしく、花火はかなりの大きさに見えた。
 近所の子供たちが音に気づいて外に出てきたり、ベランダから見上げている。

 夜空で咲く大輪の花は、疫病退散の願いを叶えるべくすぐに散っていく。ああして疫病を焼きにいくのだと聞いたことがある。
 その輝きはささやかで大きな花となり、夜空にほんの少しの感傷を残す。ほんのみじかい間に生まれては消えていく花々は、私たちの心に僅かばかりの夏の思い出を残して消えていくのだ。

 確かにこれは目に焼き付いてもおかしくない。

 年甲斐もなく、蒸し暑いさなかに立ち止まって見上げているうちに、なにかきらからしたものが落ちてくることに気付いた。それは私の目前にまで迫り。

「あっ」

 ……という間に、私の目の中に入り、焼き付いてしまった。

 それからというもの、私の目に焼き付いた花火は、しばらく暗いところを見る度にぱちぱちと花を咲かせていた。目だけで音はしないが、それを見ているとどこからか遠く花火の音がしてくるような気がする。
 夏が過ぎ去る頃には見えなくなっていったが、これは確かに職人の腕が悪い。花火の美しさ、すぐに消えてしまう感傷、名残惜しさというものがまったくもって消え去ってしまう。

 後々調べてみると、どうやら件の花火業者には新人が何人か入っていたらしい。老齢化や廃業が相次ぐ花火業界の若返りを果たそうと、若手の花火師と花火業者を記事にしたものだった。

 しかし、あれから何度か、打ち上げ花火のたびにもう一度花火の欠片が落ちてはこないかと見てしまう自分がいる。
 だが、当の花火職人たちは腕をあげたらしかった。

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