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カヨの話④:ユニコーンに導かれし場所

30歳のとき、カヨはWeWork Japanに入社した。初めてのグローバル企業であり、世界的に注目されていたユニコーン(評価額10億ドル以上の非上場企業)である。自己肯定感が下がり切っていたカヨはそんな華やかな場所で果たして自分が通用するのかと心配していたが、その不安はすぐに飛んでいった。

前職で当たり前のようにやって評価されなかったことが、WeWorkでは高く評価されたのだ。目から鱗だった。ずっと自分が悪いのだと思っていたカヨだが、ここにきてようやく「場所が合っていなかっただけ」という発想を持つことができたのである。そこからは自信を持って仕事に取り組めるようになった。忙しかったし、色んな関係者の板挟みになることもあったけど、とても充実した日々だった。

そんなある日、Airbnbが人を募集していることを知った。実は以前からカヨはAirbnbの創業者の考え方に深く共感していた。WeWorkに勤めてまだ1年しか経っていなかったが、このチャンスを逃したくない。思い切って応募することにした。

採用プロセスは順調に進んだ。契約社員という話だったが構わなかった。シンガポールのAPAC(アジア太平洋)本社スタッフにも英語でプレゼンし、カヨは見事採用を勝ち取った。しかし蓋を開けてみると、派遣社員としての契約だという。話が違う。そもそも派遣には採用面接などしてはいけないはずだ。腑に落ちなかったが、それでもAirbnbで働けることには変わりない。こうしてカヨは便宜上派遣会社に登録された。

時はちょうどコロナ禍が世界を包み込み始めた時期である。リモートで働き始めて3ヵ月、事態が急転した。まさかの派遣切りだ。世界的パンデミックで旅行業界が大打撃を受けていることを考えれば不思議ではない。こうしてカヨは憧れの企業に転職した3か月後に失業者となった。一度もオフィスに行かず、チームの誰とも直接会わないまま終わってしまった。ショックだった。

次の仕事を見つけるまでは10か月もかかった。しかしニュージーランドから帰ってきたあとの無職期間とは違って金銭的な余裕があったため、その間は穏やかに過ごすことができた。それまで顧みることのなかった過去を深堀りすることで、自分の思考や性質について深く知ることもできた。それに20代の頃にはなかった経験といくばくかの自信もあった。それを実感できただけでも、自分は成長したなと思う。

振り返ってみるとカヨは自分の達成を過小評価していた。たとえ何かがうまくいっても、その成功体験を噛みしめることなく、頑張れたのは「たまたま」とか「あのときは追い込まれたから」と片付けてしまう。もしかしたらそれは、自分で頑張ろうと思って頑張ったことではなかったからかもしれないし、自分に厳しすぎるのかもしれない。あるいは理想が高すぎるのかもしれない。でも失業中の10か月間でようやく、「たまたまできた」ことも自分の実力だと認められるようになった。自分に対してちょっとだけ甘くなれた。

今はオーストラリア発のグローバルスタートアップでシニアコピーライターとして働いている。実は2度目のニュージーランド生活の間に、カヨは日系の出版社で編集の仕事をしていた。そこでアイデアを形にする仕事の面白さを初めて知り、帰国後はライターの仕事を探していたという経緯がある。しかし当時は大卒でなく経験も浅いカヨに開かれた機会などなかった。それから7年経ちさまざまな経験を積んだ今、カヨはようやく「ライター」のポジションを手に入れた。

とはいえ実際の仕事では誰かと誰かの間に入って、うまく物事が流れるような役割を担うことが多い。板挟みで大変だしいつも悩むけど、結局それが好きなんだとカヨは思う。振り返れば自分の価値を発揮してきたのはいつだってそんな場面だ。通訳として人と人とをつなぎたいという思いが、今グローバル企業で実現している。

けれど、ずっとそこにいることはないだろう。常に前へ進んできたカヨは、居心地のいい場所に留まることができないし、もっと皮を剥けるだろうとも思っている。

不登校で大学にも行っていない自分がこんな風にキャリアを構築していくなんて想像もしなかった。けれど、本当はそれも当たり前に想像できる社会であってほしい。考えてみるとカヨのキャリアは海外スタートアップの日本オフィスだから実現していることで、日本企業だったらこうはいかないだろう。カヨの前に立ちはだかる社会の壁はまだまだ高い。

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Image by StockSnap from Pixabay 

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