私は海に還りたい
私の骨は海に流してほしい。
物心ついた頃からそう思っていた。
葬式はいらない。しんみりされなくていい。
食べて、飲んで、語って、笑っていてほしい。
「縁起でもないこと言わないで」
母の声で、どうやらこの世界では公に死を語ることがよろしくないらしい、と小さな私は覚えた。
公に死を語ることをやめても、本を開けば、人間が昔から死について考え続けてきたことは明らかだった。そこには自由があり、生が希望に見えた。
歳を重ねるほど、人生はラクになる。
私にはそんな絶対感があった。
だから生き延びることができたと思う。
はやく大人になりたい子供だった。
中学校の卒業式。
他の子たちが寂しくて泣いている時、私は嬉しさのあまり泣いていた。自分の人生に、もうこれ以上辛いことは二度と起こらないと直感したからだ。避けられない大きな戦いみたいなものが終わった感覚があった。
それらの感覚は当たっている。
自分の中の絶対的な感覚ほど、頼りになるものはない。
「海が見える白い家に住む」もそのひとつ。
昔からなんとなくイメージが浮かぶのだ。遠い遠い未来のことかもしれないし、それがいつなのかはわからない。
瀬戸内海のそばで生まれ育ったこともあり、自分と海との間には縁の深さを感じずにはいられない。
大人になった今、私の近くにいる人たちは、こういうことを話せる人たちだ。
だから、もう一度言いたい。
私の骨は海に流してほしい。
葬式はいらない。しんみりされなくていい。
食べて、飲んで、語って、笑っていてほしい。
小さな私はなんにも間違っちゃいなかった。
そうやって過去を取り戻せる大人になれたことを、私たちは誇っていい。
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