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そのディスりは「あなた」の心の問題ですよね

他人の目に見えている自分と、自分が思っている自己像がかけ離れていることに最近、よく気づく。私が思っていた私は、ちっぽけで弱くて度胸も行動力もなくて、ブスで馬鹿で世間から笑われるほど常識がないヤツだった。

小さい頃から、母や姉から冗談交じりでからかわれてきた面長な輪郭や低い鼻が大嫌いだった。私は馬面。おでこなんてとてもじゃないけど、出せない。通り過ぎる人、みんな、心の中で私の鼻の形を嗤ってるんだろうなって思ってた。

自分が小顔という種類に分類されると教えてくれたのは、家族以外の他人だった。人から言われても、そうだとは思えなかった私は試しに母の前で、会話に混ぜ込ませて「私、小顔だから」っておどけてみた。

すると、母は「うちの子はみんな小顔だから」と言った。知っている良さがあったのに、なんで教えてくれなかったんだろう。そう思った。傷ついた。

人から小顔だと言われても、自分自身の目に映る輪郭は、いつも家族に言われていた「馬面」。「面長で馬面なのがコンプレックス」と打ち明けた時、家族以外は「そんなことない」と言ってくれる。心を守ってくれる。でも、家族だけが心にトゲを刺す。そのトゲだけが、ずっと心と脳に残る。

男顔だと言われるのも、嫌だった。10代の頃は母に「男が化粧してるみたい」と、何回か言われた。なんで、女の子らしい顔になれなかったんだろう。私は、ニューハーフみたいな顔なんだろうか…。骨ばった骨格が嫌だ。面長な輪郭が嫌だ。丸みのない顔が嫌だ。卑下される自分が嫌だった。

友達や彼を紹介するたび、姉は私の鼻の低さをネタにした。例えば、自身の子どもの鼻の低さが私にそっくりだと笑いながら。メイクで鼻を高く見せているだけだと、笑いながら。知られたくないコンプレックスを他人に勝手に暴露される怒りや悲しみや苦しさ、きっとあの人には分からない。

自分が同じことをされたら、心底怒るくせに。私の痛みには、みんな鈍感。

それでも、頑張って家族でいないといけないと思ってた。頑張って笑って、傷ついてもショックなんて受けてないフリをして。苛立ちを隠して連絡を取り合ったり、相手の気持ちを優先にしたりして。

でも、もういいかなと少し思う。付き合いきれない時は距離を置こう。自分の心の状態が堕ちないことを一番に考えよう。

誰かを卑下するのは、その人の心の問題。美しさの価値観や美的センスは人それぞれ違うから、自分がいいと思えれば、それでいい。相手と合わなかったら、それは価値観が違うだけの話。そして、価値観の違いを声高らかに叫んで、こちらを傷つけるような人は、その人自身に問題がある。

私は何も悪くないはず。まだ言い切れないけれど、私は私が思う自分でいていいはず。私らしい自分は、たとえ家族であっても傷つけてはいけないもののはず。私ではなく、相手の貧しい心に原因がある。それは私が考えるべきことではないと思う。

家族の評価ありきではない自分を、私はどう思うのだろうか。抜けているところがあって、人間関係が苦手で自分の顔は相変わらずそれほど好きではなくて、無理しがちな不器用人間だけど、きっとそんなに嫌いではないはず。人の心の痛みを知っていて、いろんな角度から物事をちゃんと考えられる自分は、そんなに嫌ではないはず。

自分の顔が人の目にどう映っているか、どう感じられているか怖い日はある。世の中の人間がみんな、のっぺらぼうだったらいいのにと思って、心が揺れる。「これでいい」と「本当にいいのだろうか」の間で。でも、「私はダメ」という、いつも選んできた選択肢は薄れてきた。

正しさにすがるよりも「好き」なほうを選ぶワクワク感を、誰かの評価に自分の価値を委ねないしなやかさを持ちたい。たとえ、人が私を見捨てても、自分が自分を見捨てない生き方をしたい。

「暗い髪、やっぱり似合わないね」って、あなたに言われた後に、こんな気持ちになってること、あなたは絶対知らないね。知らなくてもいいし、知られたくもないけれど。

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