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体裁を整えることは余計だろうか

noteを使うようになった理由で一番大きいのは、「ページデザインを考えなくて済む」ことです。

デザインを考える、なんていうとずいぶん大層なことに聞こえるけれど、ブログを使ったことがある方なら、大なり小なりぶち当たったことがあるのではないでしょうか。

ページデザインといっても、文章構成とか文字の見せ方とかそんな踏み込んだ話ではなく、単純に「ページの見栄え」のことです。
だが、これが難しい。
ページデザインが書く内容と合っていないだけで、文字が小さすぎるとか大きすぎるとか調整を間違っただけで、文章はまるで読みにくくなります。
サイト時代のオンライン小説書き(今は死語かもしれませんが……)にとっては文章の技法だとか書き方講座なんて高尚な話をするより前にやらなければならないことがありました。

シンプルでもいい、読みやすいサイトにしてほしい(白目)。

内容が良ければ文章は読める、なんてことはない、絶対にない。
どんな名文でも、余白なし+背景に写真画像使用+文字背景加工なし+フォント特大なんかで作ったら、3分読むのが苦痛です。
「読む人間のことを考えろ!」と頭から叩き込みながら、HTMLのタグを操ったのがかつてのオンライン小説書きでした。

テキストサイトとなると、それよりは大分ゆるくなったけれど、それでも「フォントいじり」がテキストサイトの必殺技と言われるくらい、内容以上にページの「見栄え」は大事だったのです。

ブログの登場で、テキスト関連はちょっと楽になりました。
少なくとも、最低限の体裁は「テンプレート」が保証してくれるので、一から頭を悩ます必要はなくなりました。

でも、ブログにしろサイトにしろ、noteのように決まったデザインを持たないものは、ある程度、自分で決めないといけません。
良く言えば、自由度が高く。実際のところ、とても面倒くさい。

mixiやnoteは、そういう意味ではとても楽です。
最初から決められたデザインがとても洗練されている。
個性を出すための自由度(ヘッダの画像とか)も与えられている。
だが、ソレを行使しなくても、それなりに読める。

最高です。そうして初めて、デザインだのHTMLだのテンプレートだのに頭を悩ますことなく、文章を書くことに専念できるわけです。

で、その結果、文章を沢山……書け……る、ように……?

人間、環境が整ってもやらない奴はやりませんねぇ(遠い目)。