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三代続いた親子の確執 その16

曾祖母と祖母との確執。祖母と母との確執。二代続いた確執は、やはり続くのであって、私と母の関係もあまり良い関係ではなかった。
続いては、私と母との確執の話

【会いたいとも恋しいとも思えない母】

幼い頃大家族で育ち、祖父の事業を手伝い、多忙だった母は、私たちの面倒を祖母やまだ独身だった叔母たちに、全部任せていた。なので、私自身母に育ててもらった記憶は何一つ残っていない。

思い出すのは、祖母の料理する姿や銭湯に一緒に連れていってもらったことなど、日常生活の思い出は大好きな祖父母のことだけだ。そして祖母とは、温泉湯治にも長期間一緒に行ったこともある。また、まだ若かった叔母たちにも面倒をみてもらい、可愛がられた記憶は多い。

反面、母との記憶で唯一覚えているのは、幼稚園受験に落ちた時のことだけだ。【何も話すことができないこどもなので、対応できない】が不合格の理由で「なぜ何も話さなかったのか?」と問い詰められた記憶だ。母のプライドを傷つけたらしい。

叔母たちに言わせると、幼い頃の私は、ホントにおとなしいこどもで、「ここに座って待ってなさい。」と言われたら、何時間でも待っていることができる引っ込み思案の女の子だったらしい。大人になって物凄くおしゃべりになった私に、叔母たちはよく「昔はホントにおとなしく可愛らしい日本人形のようなこどもだったのに、豹変したね~」と言ったものだ。

叔母たちの言葉で、おとなたちから見た私の幼い頃の姿は、想像できたものの、なぜそこまでおとなしかったのかは、自分でもわからなかった。けれど
この謎が50年後に判明した・・・

幼い頃の深層心理を追求するワークに参加した時に、私がなぜそこまでおとなしい子ども時代だったのかがわかったのだ!!
それは・・・

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