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父の死により姉妹の運命が逆転 1

これは幼い頃に父親に死なれ、ひとり残された母親が子どもたち8人をどうやって育てていくか?悩んだ末に、親戚から養子縁組の話が舞い込んできた時の話である。昭和初期にまだ11歳だった私のお姑さんから、聞いた実話。運命の分かれ道は、姉妹の間で起こった。

ある晩、親戚が集まって残された子どものうち、誰を養子縁組するのか話し合いが持たれた。養子先は裕福な子どもができない夫婦で、養子縁組すれば食べることにも着ることにも不自由しない。自宅からは遠く離れているが、父親の死により、食べることにも事欠く、今に比べてたら普通の暮らしができるから、ひとり口減らしができる。という話だった。

親戚の話し合いを隣の部屋で聞いていた子どもたちは、お互い目を合わせた。しばらく経って、まず私が呼ばれ、養子に行く気はあるか?聞かれた。母の大変さを見ていたので、自分がひとりいなくなれば、少しは母の助けになるかもしれないと一瞬思ったが、自分の口から出た言葉は
「いやです。裕福なところであっても、行きたくありません。」

私の返事を隣の部屋で聞いていたすぐ下の妹が飛び出してきて
「姉さんが行かないなら、私が行く。養子先に行けば、食べ物にも着るものにも困らないんでしょう?もう、ひもじいのは嫌だし、お金持ちらしいから、綺麗な着物も着せてもらえるのでしょう?私が絶対行く!」と
言い出した。

親戚たちは、その言葉に安堵し、妹の養子縁組が決まった。数日後、遠く離れたところに住むことになった妹を、私たち兄弟姉妹は見送った。とにかく、幸せになって暮らしてほしいという願いとともに・・・

後年、なぜあの時、自分は養子縁組の話をきっぱりと断ったのかを思い出してもわからない。だけど、直感で「いやだ!」と思った記憶だけはある。

その後、養子先に行った妹の様子を聞けないまま、今度は私の運命が変わっていくのであった・・・つづく


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