見出し画像

【アダルトチルドレン・ロストワン】自己紹介【ぼっち主婦】

はじめまして。人生へたくそと申します。
昔から自分でかなり生き方へたくそだなと思っていたのでこんな名前にしてみました。

自分としてそのまま生きるのはもう辛過ぎた。もうこれ以上傷つきたくない。自分を否定されたくない、嫌がられたくない。

そうだ。自分をへんなおじさんねこだと思って生きよう。

自分の心を守る為20歳前後くらいから心の中におじさんねこを住まわせ、このおじさんを自分と思って生きてきました。

「おじさんだからね、お友達とかもういいんだわ。そんな言ってる場合じゃねえ」
「無口で昔気質のおじさんなもんでね。人間関係もうまく築けないが多めにみてくれい」とかこんな風に言い訳ができるわけです。

10代、20代は鬱で苦しかったけど今は鬱完治、考え方の改善もコツコツしていて大分生きやすくなってきています。でもまあおじさんねこはそのままいるってわけです。

そんなわけでこのブログはこのへんなおじさんねこが主役なもんでね。語り口調もおじさんちっくにいかせてもらう。

それでは自己紹介をしていく。
まず両親のことも書いていこうと思う。


母自身闇が深い。オレが子供の頃から夜はテレビをつけっぱなしでないと眠れない。静寂の中に居られない人だ。家でも家事以外は何かに取り付かれたかのようにテレビをみているか、ずっと携帯をいじっている。心がずっとせわしないのだと思う。糖尿病だがこちらがドン引きする食生活だ。背負い込み、頑張りすぎるたちで頭痛、肩こりで年中痛い痛い言っている。昔も今も心身状態ボロボロなイメージだ。
母の父(オレのじいちゃんだ)がアル中だった。子供の頃はそれがあって母の母(オレのばあちゃん)も大変でネグレクトっぽいところが少しあった様だ。オレが子供の頃の祖父のイメージは常に不機嫌で怒ってて超こええ感じだった。孫が可愛いなんてタイプじゃなくて煩わしい、バカで下品なクソガキっていう目つきでみられていた記憶がある。祖母はどこか無気力な人というイメージだった。
母が育った昭和は親が子供に厳しくするのは当たり前の時代だったらしく、母自体アル中の祖父にかなり厳しく育てられたみたいだ。体罰もあったみたいだ。この様にいろいろ育つ環境で辛いことも多かったみたいで、母自体闇が深かったわけなんだ。
そんな母が親になるわけだ。精神状態はそもそも健全といいがたい状態で(思い込み、トラウマなど多い)しかも夫(オレの父)は借金男でいつも家計は火の車。相当ストレスフルな状態だったと思う。加えて母は少し発達障害があり、感情コントロールがしづらい質で常にヒステリックだった。相手の立場に立ってものを考えるということがあんまりできず(特に子供の立場)子供なんてわけわからない言動ばっかりするわけで。なんでそんなおかしなことをするのか。意味がわからない。(自分の子供の時の感覚は忘れるものなのか?)変なことをするこの子たちはおかしい。おぞましい。終わってる。みたいなもののいい方、人格全否定、支配的、一方的で押さえつけ育児になったのは致し方がなかったのだろう。9割くらいはいつも怒られていた記憶だ。なぜかよく分からないが3人姉妹の中で一番オレが母に嫌われてオレだけ名前を呼ばれない、無視されることがあってそれがとても悲しかった。

そして父。
普通かまともかっていわれると少し難ありだったと言わざるを得ない。なんでかっていうとかなり暴力的な所があったからだ。元ヤンらしい。(田舎のちょっとしたね)すぐイライラしていつも父にビクビクしていた。キレると子供からしたら殺人鬼並みに怖くて震えた。姉妹の「許してください。申しません!!」と泣き叫ぶ声が今でも耳にこびりついている。まあ優しい所もたくさんあって父から愛されているという普通の親子並みの感覚はあったからすごく感謝はしている。まあ借金問題もあって父も心に余裕がなかったんじゃないかと思っている。

根が暗いんだと思う。小学生の頃から友達は一人いるかいないか。昼休みは居場所がなくてさまよっていた苦い思い出。人の目がかなり気になって一人でいる自分がとてつもなく恥ずかしかったのを覚えている。一人で恥ずかしいやつと思われてるんじゃないかって。なんでそんなに友達がいなかったのかって?消極的な性格、暗くてつまらない。あとすっごい嫌な奴だったからだと思ってる。家庭環境のせいにしたいわけじゃないが、心は小学生の時点でかなり荒んでて数少ない友達とケンカして友達があやまってくれても無視してしまっていた。素直になれなかった。自業自得だと内心かなり焦っていた。こんな自分じゃ人は寄り付かないし離れていく一方なのにこのひねくれた性格をどうしたらいいか分からない。自分はみっともないクズだと自分嫌いが加速していっていた。姉妹間も殺伐としており、けなし合い、罵り合い、足の引っ張り合いしかしていなかった。家、学校どっちにも居場所がない感じはしていた。
学校はもうオレにとって怖い場所というイメージが強すぎた。親に四六時中怒られていて脳が「人は自分に対して怒ってる」モードみたいになっていたのか厳しい目に常にさらされている感覚だった。失敗の許されない監獄。勉強もできないアホだったし。
体もあんまり健康的じゃなくて常に謎の鼻炎で鼻水ぐずぐず、片頭痛で頭がガンガン痛かった。お腹もいつも痛かった。(食生活もあまりいい感じじゃなかった)いやもう、本当に心身ともにつらかった。
小6から心の中は絶望感と恐怖(人からジャッチされる、親から怒られる)で半分以上占められていた。
高校辺りからもう死にたい気持ちが出てきて鬱っぽい心の状態だった。ここから孤独感が強くて狂いそうだった。
社会人はもう薬を飲まないと働きには行けなかった。
絶望と死にたいきもちに飲み込まれそうで酒もやめられなくなった。そんな自分にクズ、うざい、キモイ、だらしがないと平手打ちをかましたりしていた。(こえー)
対人恐怖症気味で店のレジに行くのさえ怖くて勇気がいった。

いろいろきつかったけど、それでもなんだかんだ頑張って生きた。いつかきっとよくなるという変な希望は心の奥底の方に持っていたからだ。それは高校生の時に斎藤一人さんのCDを偶然にきく機会があり、この世はみえてる世界が全てじゃないかもしれないという考えを持てていたからだ。神様はきっといる。苦しくてたまらないけどきっと見守ってくださっている。そう信じることでなんとか心をギリギリ保っていた。
それとずっとあたたかい家庭を持つことを夢見ていた。それを生きる目標にしていた。虐げられる辛さが痛いほど分かるから子供には絶対つらい思いはさせない。あたたかい家庭を作ってみせると強く思っていた。

友達もいないクセにパートナーができるわけもなく・・・
20歳過ぎまでまともに異性と会話したこともなかった。だからお金を溜めて24歳くらいで手っ取り早く結婚相談所に申し込んだ。
本気でどんな人でもいいと思っていた。自分と付き合ってくれる人ならどんな人でもいい。どんな人とでも感謝の心を忘れなければうまくいくはずだという変な確信があった。(斎藤一人さんの精神がここでもいきていた)
ありがたいことに変な人にはひっかからず、この人!となぜが直感が働き一人だけとやり取りし結婚相談所はすぐ高いし辞めた。相手も縁を感じてくれたようでうまくパートナーを得ることができた。(この人物と後に結婚した)
しかし、まだまだオレの人生の闇の終わりはこなくて
パートナーが出来たが鬱は治らず絶望感が相変わらず苦しくて酒におぼれパートナーの前で失態を犯したりして愛想をつかされそうになった。同時に二人暮らししていた姉もアル中で刃物を持ち出す争いをしたりした。そしてオレはストレスからとち来るってもう絶対に人にはいえい所業をいろいろやらかした。めちゃくちゃな生活で心臓も悪くして(不整脈)心臓の治療もしなくてはいけなくなった。もう落ちるところまで落ちた20代だった。

鬱とかもうずっと10代のころから色濃く、自分の中にあったものだから治るなんて微塵も思えてなかった。もうずっと薬でごまかし続けるしかないと。自分のネガティブな思考ももうどうしようもないと思っていた。(すぐ最悪な想像をして無駄に不安になるループ)
でもパートナーが色々治療法を調べてくれた。それでTMS治療(脳に繰り返し磁気を利用して電気刺激を与えることで、脳の働きを正常に制御していく治療法※クリニックHPより引用)とかに出会って何が功をなしたのか分からないけど薬を飲まないでよくなったのである。

自分の歪みまくった思考を修正する為にも(生きづらすぎる思考傾向だった)心理学系の本を100冊近くは読んだ。(頭悪いから読んだそばからするする頭から抜けてったけど)
なんで自分はこんな性格なのか、こんな考え方をするのかそれを知りたくて知りたくて昔から仕方がなかった。中学生の頃から心理学系の本はずっと読んでいた。
そして今はお陰様で対人恐怖はほとんど治った。人ともそう緊張せず(まあゼロじゃないが)話せる。(人と話す機会めったにないケド)幸せよりな考え方ができている。過去一生きやすいメンタル状況だ。
もっともっと切磋していきたいと思っている。もっと自分を理解して、人のことも理解したい。歪みなく世界をみて、感じて生きたいんだ。それが今のオレの目標だ。

かなりながい自己紹介になってしまった。ここまで読んでいただきありがとうございます。(そんな人いるのか!?)




この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?