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人の「話を聞けない」のはあなたの話を「聞いてもらっていない」から~『聞く技術聞いてもらう技術』を読んで

聞かれることで、ひとは変わる

世の中では話を「聴く」ことの大切さが語られることが多いが、本書ではあえて「聞く」こと、「聞いてもらう」ことにフォーカスを当てている。著者は「聴く」は耳を傾けること、「聞く」は耳に入ってくること、と表現している。「話を聞いて欲しい」と言われるとき、相手が求めているのは「心の奥底にある気持ちを知って欲しい(=聴く)」のではなく「伝えている言葉をそのまま、受け取って欲しい(=聞く)」ということである。これが簡単なようでなかなか難しい。私たちはどうしても相手の言うことの裏、背景を読もうとし過ぎてしまい、真に受けることができないときがあるからだ。

話をよく聞いた方が良い、とはよく言われているし、そうした方が良いことはわかる。でも、親子、夫婦、学校、職場・・・その関係性がこじれてしまっている場合、そんな余裕がないことも多々ある。そんな時にこの本では「第三者」の立場から話を聞く、あるいはその立場の人に話を「聞いてもらう」ことで、本人の心理的安全性を確保、関係性を正常に戻す効果があること、また「聞くこと」と「聞いてもらうこと」を循環させることの大切さを説いている。世の中にはそれほど「話を聞くことができずに困っている人たち」と「話を聞いてもらえずに苦しんでいる人たち」で溢れている。

問題があるのは個人より関係性

伝えたいことがあるのに、聞いてもらえない、一生懸命言葉を尽くしているのに、相手は言葉で殴られているように感じている。親が色々言ってくるけど子どもには騒音にしか聞こえていない。「勉強した方がいい」「将来のため」と正論を言っているのに子どもにとっては「うるさい」と騒音にしか聞こえない。つまり・・・言葉が全然届いていない。

このような場合、問題は言葉の中身にはない。そうではなく、二人の「関係性」に問題が起きているという。二人の間に不信感が飛び交い、関係がこじれている。一体どうしてそうなってしまったのか。

こころにとっての「真の痛み」とは、世界に誰も自分のことを分かってくれる人がいないことだという。この場合、子どもの話、悩みに耳を傾けて「聞く」ことが大切だ。でも、子どもとの関係で悩んでいる親に「もっと子どもの話を聞いた方がいい」とアドバイスをしても、親は責められているように感じて、ますます子供の話を聞く余裕がなくなってしまうものだ。こんな時必要なのは「第三者」がその親の話を聞くことだという。なぜ子どもの話を聞けなくなってしまったのか、親として追い詰められてきたのか、誰かが聞いてくれて初めて、子どもの話を聞こう、という気持ちが湧いてくる。

孤独と孤立

核家族化などの影響もあり、現代社会では「孤独」は社会問題化している。本書では「孤独」と「孤立」の違いについて紹介しているが、「孤独」とは心は「鍵のかかる個室」にいて、外からの侵入者に怯えなくて良い状態、一方「孤立」とは心は「相部屋」にいて、そこには嫌いな人、怖い人、悪い人など「想像上の悪しき他者」と共存している状態、と表現している。現実が不安定で厳しい状況のとき、一人になって心を休められる状態にないとき、人は孤立している。一方、物理的には一人でも、そのような「悪しき他者」に脅かされる心配がない時、人は「孤独」であり、「寂しい」という気持ちも表現できる。つまり、人が本当にキツイのは「孤立」している時。

「孤立」の支援には安心感と時間が必要だと言われている。たとえば、朝出かける時に思い描いていることが職場で起こり、それで予想通り家に帰って来て夕飯を食べる。こんな一見当たり前の一日を過ごす感覚が安心になる。一方、いじめられている子ども、パワハラを受けている会社員などは、今日学校(職場)に行って、何が起きるか予想もつかない、というような状況であり、これは心穏やかではいられない。

こうした安心感を支える一つが「お金」だという。それは、経済的に安定していることにより、3カ月後も基本的にこうやって過ごしているのだろう、という感覚を与えてくれるからだ。未来をきちんと予測できる安心感を得て初めて、人は誰かと繋がることができる。「お金」には孤立をやわらげる力がある。

「小さいほうの声」を聞く

孤立している人に話しかけても「この人は自分をだまそう(傷つけようと)としているのではないか」とすぐには受け入れてもらえないことが多い。支援する側も孤立した人のことを傷付けてしまうこともしばしば起こる。関係性を和らげていくには「時間をかける」「じっくり関係性を作っていく」しかない。時間をかけて関係性を作っていったとき、その人の頑なな心がフッと動く瞬間があるという。呼びかけた先に「小さいほうの声(本音)」が聞こえるのだ。

誰にでも心が「複数」ある。例えば孤立しているとき、その人の心は「他者は敵である」と思い、遠ざけてしまう。でも、心のどこかでもう一つの心は「助けてほしい」「味方がいるかもしれない」とも思っている。時間をかけて、繰り返し会うことの意味は「この小さいほうの声」が徐々に聞こえるようになっていくこと、だと筆者はいう。

人は孤独の最中にいる時は、差し出された繋がりを拒否してしまう。そのため、支援する人も孤独を感じることになる。心の中に安全な個室を再建する必要があるのだが、その支援する人のことも支援しないとその人も孤立してしまう。私たちが話を聞けなくなってしまうのは、孤立している時だ。母親が子どもの話を聞こうと思ったら、母親の話を「誰か」が聞いてあげないといけない。さらにはその誰かが母親の話を聞くためには、これまた別の誰かがその人のバックアップをしていなくてはいけない。「聞いてもらえている」からこそ、聞くことができる(つながりの連鎖)

「聞く」は循環する

「聞く」、「聞いてもらう」は一方的なものではなく、普段グルグル循環しているという。でも、それが欠乏し、その循環が壊れてしまう時に孤独が生じ、関係が悪化していく。著者はこの本の中で「聞く技術」(小手先編)「聞いてもらう技術」(小手先編)として、簡単にできるものからヒントを紹介している。話を聞いてもらえず、行き詰まった人がいたら「聞いてあげる」、逆に自分が行き詰まったら、「聞いてもらう」。それは家族でも友人でも職場でも、第三者でも、誰でも良い。そんな時のヒントになるのがこの(小手先編)だ。面白いところでは「zoomで最後まで残る」なんてことも話のきっかけになるという。

理解には愛情を引き起こすちからがあるという。「あ、それくらい追い詰められていたんだ」とか「そう考えると本当に苦しいよな」と思えた瞬間、人は相手に対して優しくなれるという。「愛さなくちゃ」と自分に言い聞かせるより、理解しようとする方が、愛を機能させるためには役立つ。

親子喧嘩が絶えない時、職場で上司と部下の関係が良くない時、その原因は「どちらか一方」ではなく、その関係性にあることが多い。そしてその関係性は「話を聞いてもらっていない」ことが原因かもしれない。そんな時、誰かの「聞く」を循環させることができれば、この世はもっと優しくなれるのではないだろうか。

『聞く技術、聞いてもらう技術』(東畑開人)


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