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はじめての救急車【長男出産記録②】

前の話


緊急搬送

救急車に乗り込むことになった。
意識がはっきりしている状態で救急車にお世話になることも少ないだろうと、見える範囲で観察すると。救急車はいろんなところに物が収納されていて、効率よく物が取り出せたり、点滴をかけるフックが天井にあったり、、、

キャンピングカーみたいだな…と思った。
旦那に話したいなー。と思いながら運ばれていた。(旦那はキャンピングカーが好きで、いつか乗りたいねと話している。)

搬送中はクリニックから着いてきてくれた看護師さん、救急隊員の方へありがとうございます。と言うことだけを意識して過ごしていた。

「お腹の子に1/15くらいに出ておいで〜って話していたのに、11/15に出てくるかもしれない。多分、私に似て
”いらち(関西弁でせっかちのような意味)”
なんです。」

そんなことを看護師さんに話しながら、帰宅ラッシュなはずなのに、救急車はスイスイ進んでいくのを感じていた。
この日は11/14だったが、今日の出産は絶対ない。と、なんとなく感じていた。

この時は興奮のせいか、痛みを感じることは少なかった。看護師さんに、帰りはどうするんですか?と聞いたら「タクシーで帰るよ」とのことだったので、気をつけてくださいね。と言える余裕があるくらいだった。看護師さんは、ずっと励ましてくれていて、私のしょうもない話に付き合ってもらえて、着いてきていただけて、本当にありがたかった。

点滴に大量の空気が入り、看護師さんが都度、取り除こうとしてくれていた。救急車の揺れで空気が入りやすく、仕方がないらしい。

しばらくして病院へ到着した。夜間、救急と書かれた場所から入り、いろんな人に注目され居心地が悪かった。
そんな大したことじゃないのに…と、思っていた。(救急車で運ばれているのにも関わらず、まだそんな感覚だった。というか、産むまでずっとこの呑気さである。)
18時を過ぎた病院は少し暗く、担架で運ばれながら、古い病院のはずなのに綺麗だなーと思っていたら、分娩室と書かれた部屋に通され、そこで看護師さんとはお別れになった。
「頑張ってね〜」と言われたことが印象に残っている。
救急隊員の方は気づいた時には帰られていた。

病院に到着。旦那と対面。

旦那と実家の両親にLINEで都度連絡をとりあっていた。スマホがある時代で本当によかった。
病院へ到着してから、クリニックで行った検査と同じような検査を行うことになった。
陣痛は3分間隔になっていたが、子宮口は全然開いていなかった。ただ、子宮頸管は4ミリになっていてお産になるかもしれないことを言われた。

いろんな説明を受け、出産になるかもしれないからと、麻酔のことや輸血に対することなど、いろんな書類にサインをした。
陣痛の合間、分娩台の上で寝転びながら書いた文字は、後日確認するとものすごく汚かった。痛みに耐えながら書いた文字は、当時を物語っていた。
旦那と分娩台の上で対面し、汗だくで思ったよりしんどそうな私にびっくりしている様子が見てとれた。

お腹の子どもは、いま出てきても呼吸器官が万全ではないのでそれをマシにさせるために、母体へ抗生物質を投与しましょうと、注射を受けた。もう1回この注射できたらいいね。と言われ、お腹の張りを抑える点滴をこの病院のものに変えます。と、左腕から右腕に刺された。「今日は入院です。」と言われた。

私は大きな病院に来られて、力強い心拍を聞かせてくれるお腹の子どもの心配はしていなかった。
ただ、旦那のことが1番心配だった。仕事終わりで疲れているはずなのに、嫁がこんなことになってさぞかし動揺しているだろうと、事故とかしないように気をつけてね。ちゃんと寝てね。明日も仕事やで。と、たくさん声をかけて別れた。

子どもにはまだお腹の中にいてほしいけど、ここまできてしまったら子どもに全てを任せるしかないわ…。
と、覚悟というよりは諦めを覚えながら、

「なるようになるしかないわ。」

と、旦那がコンビニで買ってくれたパンを食べて眠ることにした。

③へ、つづく


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