やるしかねぇ。🇮🇹スタートアップの給与交渉。
サボ太郎が十年かけてようやく辿り着いた面白いと思える仕事、プロダクトマネージャー。その経験を、ヨーロッパで、イタリアで積める。サボ太郎は、このチャンスを活かさない手は無いと思い、🇮🇹スタートアップからのオファーを受けることを決心した。しかし、それは大幅に給与が下がることを受け入れることを意味する。待遇を少しでも上げるために、できることはするべき。サボ太郎はそう考え、給与交渉をすることにした。
交渉ごとが苦手
サボ太郎はこれまでのキャリアで給与交渉をした経験はなかった。右も左もわからない状態。海外では給与交渉は当たり前と聞くが、海外といってもヨーロッパとアメリカでは事情が違うだろうし、ヨーロッパの中でも保守的なイタリアではまた事情が違うかもしれない。わからないことだらけで、サボ太郎は早くも大きな不安に襲われた。
そもそも、サボ太郎は交渉ごとに苦手意識を持っていた。サボ太郎はコミュ障というわけではないが、若干人見知りな性格で他人にどう思われているか気にしてしまう性格だ。交渉とは双方にとって有益な条件を見つけ出す、いわば共同作業だが、自身の主張が相手にとって不利益になることも当然あり得る。そうしたときに相手から負の感情を向けられるのが怖いのだ。
MBAでネゴシエーションのクラスがあったが、サボ太郎は苦労した。クラスではBATNAなどの交渉における論理は学んだ。だが、理論を学んだとしても、すぐに実践できるようになるわけではなく経験がものをいう。クラスメイトとの交渉の演習を思い出すだけで胸がキュッとした。それに、MBA留学をする人は世間的にはやり手のエリートビジネスマンという印象だが、サボ太郎はそうではい。
サボ太郎は大学、大学院と理系の研究畑で過ごし、外資系IT企業のエンジニア時代も交渉の機会はほとんどなかった。プロジェクトマネージャーに転身してからはクライアントやパートナー企業と交渉することはあったが、自分が精通している分野で入念に準備したロジックを武器に望んでいた。それに、交渉において相手と利害がぶつかることがあったとしても、プロジェクトの成功という絶対的な共通の目的があったので、難しい交渉ごとでも何とかこなしていた。
ただ、サボ太郎は給与交渉ではどのような気持ちで望んでいいものかわからなかった。交渉における強固な根拠を準備できるかもわからなかった。それに、今回は経営陣と直接交渉となる。経営陣としてはコストを抑えたいという意図は当然あるはずで、給与を上げたいというサボ太郎の意図とは対立することになる。サボ太郎の気は重かった。
給与交渉の準備
嫌なものは嫌だが、ぐちぐち言っていても始まらない。やるしかないのだ。サボ太郎は、気持ちを奮い立たせてMacBookを開き、海外での給与交渉について調べ始めた。何もわからない時は、まず情報を集める。不安は無知からくることが多い。日本語、英語問わず、十本弱のブログや記事に目を通し、給与交渉の大まかな実態と抑えるべきポイントを把握した。ポイントは以下のようなものだった。
イタリアでは給与交渉はUSなどに比べるとそれほど一般的では無い
メールで交渉するのが一般的で無難
交渉時に具体的な希望額は明示しない
カウンターとなる額はレンジで考える
カウンターとなる給与レンジの根拠は、前職の給与や給与相場がある
給与相場は客観的な根拠を提示する必要がある
サボ太郎の場合、前職の給与をカウンターの根拠とするのはナンセンスだった。給与は能力を評価したものと勘違いされることが多いが、実態は違う。給与とは場所、職種、職位、業種、会社規模などの複合的要因で決まる。今回のサボ太郎のケースでは「場所」が大きな変動要因となる。例えば、発展途上国とニューヨークでは同じ仕事でも、給与は数倍違うだろう。同じように、ミラノと東京では給与相場は大きく異なる。
一方、給与相場は場所、職種、職位、業種、会社規模などから大まかに割り出せる。実際にGlassdoorというサイトで給与の実例を調べることができ、人材の流動性が高い地域ではたくさんの情報があり、より信憑性の高い相場額を割り出すことができる。サボ太郎もGlassdoorで給与相場を調べることにした。
サボ太郎「場所はミラノ。職種はプロダクトマネージャー。まずはこれで調べてみよう。」
サボ太郎「え?これだけ?」
検索にヒットしたのは、たった3件だった。しかも、その3件の会社規模はマルチナショナル企業で、スタートアップとは懐具合が全く異なることが想像できた。
サボ太郎「サンプル数が少なすぎるし、会社規模が全然違うじゃん。こんなガバガバな根拠だと説得するにはしんどいなぁ。アホのフリして投げるしかないな、こりゃ。」
ミラノはイタリア経済の中心地ではあるが、ロンドン、パリ、ベルリンなど他のヨーロッパ主要都市に比べると小さい。また、ミラノはスタートアップエコシステムとしては小規模だ。PMという職種を抱えることが多いIT系スタートアップはミラノにはあまりなく、PMとして働いている絶対的人口が少ないということが容易に想像できた。
情報が無いものは仕方がない。サボ太郎の気分はさらに重くなったが、ヒットした数件の情報を頼りにカウンターとなる給与レンジとその根拠を作った。いつだって、完璧な根拠を準備することは難しい。それでも物事を進めなければいけない。サボ太郎はそう自分に言い聞かせて、給与交渉のメールを作成した。
交渉の行方
やっとの思いで作成したメールをCEOのトニーとCOOのマッツに送信しなければいけない。サボ太郎の気持ちは重たかった。送りたくない。波風を立てたくない。だが、ここで給与交渉しないと後が大変になる。入社してから交渉しても昇給幅は小さくなると聞くし、少なくとも納得した晴れた気持ちでジョインしたい。
結局、サボ太郎がそのメールを送るまで半日かかった。嫌なものは嫌で、気が重い。サボ太郎はこの手のことが本当に苦手だ。すぐにメールを送る勇気がでなくて、最終的にスケジューラーで一時間後に送る設定にしてMacBookを閉じた。この行為は全く無意味なのだが、その一時間の猶予があるだけで精神的に少し楽になるのだった。
サボ太郎が給与交渉のメールを送った翌日、マッツからメールが返ってきた。サボ太郎の心拍数は上がり、手が震えた。なぜこんなに緊張するのだろうと、サボ太郎は自分でも不思議に思い笑ってしまった。確認しないと先に進めない。サボ太郎は意を決してメールを開いた。
サボ太郎「・・・なるほど、ね。」
サボ太郎は、ホッとしたような、だがどこかモヤモヤした複雑な気分だった。結果的に手取り7%UPと6ヶ月ごとの昇給の確約。サボ太郎は、そもそも昇給自体が難しいのではないかと思っていたので、上出来だと思った。一方で欲を言えば、もう一往復交渉のラリーをしてもよかったかもしれない。だが、サボ太郎はこれ以上精神が擦り切れる思いをするのは嫌だったし、相手に対してリスペクトを欠く気がした。少し時間をおいて気分を落ち着かせたのち、サボ太郎は合意のメールをマッツに返信した。
決意を新たに
サボ太郎は今回の給与交渉を通して、多くのことを学んだ。そもそも、イタリアやスペインでは給与水準が低いこと。経済状況が悪い国の、資金調達が難航しているスタートアップの財務状況のリアル。サボ太郎は後日、正式にジョインしてからマッツに財務諸表を見せてもらったが、やはり状況は厳しかった。スタートアップにはよくあることだが、キャッシュフローはネガティブ。資金調達ができないとバーンアウトしてしまう状況だ。
そして、厳しい財務状況でも給与交渉に応じてくれたマッツからはリスペクトと誠実さをサボ太郎は感じた。日本で働いていた頃に比べて収入が大きく下がったのは事実だ。だが、サボ太郎がPMとして経験を積んで会社を成長させれば理想的だし、この経験を活かして転職することだってできるだろう。捉え方を変えれば、とても面白いチャレンジになる。いずれにしても、このチャンスを活かして、PMとしてプロフェッショナル人生を築いていくとサボ太郎は心を決めた。
覚悟を決めたサボ太郎は、合意した条件が反映された新しい契約書に署名を挿入して、マッツに返信した。この瞬間、サボ太郎は🇮🇹スタートアップにPMとして正式にジョインした。まだ午後五時前だったが、ミラノの街には明かりが灯り始めていた。
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