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父が癌になった。

父が癌になった。

社会人3年目。大学生の時から地元岩手を出て、都内で一人暮らしをしていた私に、母親から突然電話がかかってきた。

LINEで妹と母親とのグループがあってよく写真とか送りあっていたけれど、わざわざ電話はしない。だから急に着信が鳴って、いつもと違うトーンで話し始めた時には、何かいつもと違う気がしていた。

「今大丈夫?」

「パパがね、癌になったの」


これだけ芸能人が癌になっただとか報道されて、日本人の何人に1人はなるだとか言われている世の中でも、自分の身近、しかも身内で起こるなんて思ってみなくて。怖いね怖いねなんて口では言っていてもバカみたいに何も考えていなかったんだな私は、と恥ずかしくなった。


父には小さい時からよく怒られていて、叩かれたり怒鳴られたり外に出されたり、怖い存在だった。

そんな父は学生の時からずっとアングラなお芝居をやっていて、変わった友人がたくさんいる。私の中のお芝居はそれだったため、友人に誘われて観に行ったどこかの劇団の公演との違いに本当に驚いた。

もう染みついちゃっているせいか、ストーリーもセリフも予想ができない、っていうか内容があるのかないのかもよくわからない不思議なそのお芝居がすごく好きだった。

なんだか友達みたいな関係な気がする。親と思ってない、というとなんか違うんだけど、友達、の方が近いんじゃないかなって。


秋頃から喉から片方の奥歯にかけて痛くなって、痛い痛い言いながらもしばらくしてから病院に行ったら発覚した。らしい。

中咽頭癌、なんて初めて聞いて、とりあえずネットで調べまくった。よく分かんないけど中咽頭癌の中にも箇所によって3種類くらいに分かれていて、それによって治療法や手術のリスクが全然違うのはなんとなくわかった。

坂本龍一さんとかつんく♂さんとか芸能人でも多くいて、でもきっと父がこの癌にならなければ他の方たちの病気の詳細までは意識していなかったと思う。何事もそんなもんなんだろう。

父親の実家は遠く岩手、母親も岩手。東京で近くにいるのは私と妹だけ。私はひどく(本当にひどい)面倒くさがりで、人と約束することや予定が決まっていることが嫌いだし、自分の都合でしか動かなくて面倒なことは後回しにする人間だった。だった、じゃなくて今でもそうだけど。

それでも、人生でこんなに、何もできないけど何かしないと、と強く思ったことはなかった。


病院へ検査に行くときは出来る限りついて行った。母親と一緒の時もあったが、岩手での仕事もあり月に何度も来られるものでもないので、私ひとりが多い。

癌が見つかって私が聞いたときにはステージ3だった。抗がん剤治療か手術をするかを選択しなければならなかった。

どっちもリスクはある。抗がん剤治療は投薬中の副作用が大きいのと完治するかどうか(癌を取り除けるかどうか)が微妙。手術だと、顔の大きな手術なので跡が残るのとしばらく味覚などに影響が出るかもしれない、と。

手術をすることに決まり、入院することになった。仕事していても気になって仕方がなかった。手術が近くなったある日、母と私と担当の先生とで話をした。

ステージ4になっていると。

は?何言ってんの?って。病院の事情なんて知らない私は、先生にそう大声でぶつけそうなのを必死で堪えた。

味覚は戻るかどうかわからない、滑舌は確実に悪くなる、片方の顎周辺がマヒする可能性がある。顔の一部を切り取らないといけないからだ。

もっと早く違和感あったくらいで病院行ってたら変わった?ていうかもっと早く手術できたんじゃないの?2〜3ヶ月の”あそび期間”は何?

お芝居が生きがいで、早口で捲し立てるような長台詞がかっこいい役者で、話が面白いんだよ。なんで顔なの、他のどの箇所より一番ないとこだよそこ。ふざけないでよ。なんで足じゃないんだよ。

足ならいいのかって言うとそうじゃないんだけど、もうそんなことで頭がいっぱいになった。

手術の日。手術室に父を見送った後、母と病院内でひたすら待った。

案内された部屋に入ると父はチューブだらけで、麻酔のせいか目がうつろで意識が朦朧としているようだった。顔は術後だからかパンパン。

私と母親を何とか視界に入れると、弱々しい動きで、親指を立ててグッジョブ!ってやっている姿を見て。私と母親に無言で握手を求めている姿を見て。

思い出そうとすると今でも涙がこみあげてくる。

看護師だった母は強い。いつもあれできない~これ分かんない~とわーわー言っている母に「もう!こんなの簡単じゃん!」ってため息をつく私。そんなのが嘘みたいに、母はがんばったね!って笑顔で話しかけたりしていた。あとは何を言っていたか覚えていない。

私はというと、なんとか握手だけはして、そこから急に息が苦しくなって手が震えて貧血みたいに目の前が白くなって、立てなくなってしまった。父が寝ているベットの横にうずくまって、何度か立ち上がろうとしたけれど数秒も立っていられなくて。

小さいときは少しでも具合悪いと、よっしゃ学校休める!保健室いける!みたいな感じだったけど、この時は、なんなの、こんな時に限って、ふざけんな、今やめてよ!って自分の体と闘ってた。

「ここに居るよ」って父に顔を見せていたかったのに全然だめだった。もう本当にだめ。一瞬立ち上がってはかがみ、もうスクワットしてるのかってくらい。

結局、フラフラ病室を出て待合室のソファへ倒れこんで、情けないことにそこから全く動けなかった。


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そのあたりから、父はほぼ毎日Facebookで日記をつけている。食に対してのストレス、体力の低下、しんどい気持ち。それから活舌もやはり以前より悪くなってしまっていて、何を言っているのかうまく伝わらない時もある。だけどそれと同時にすごく前向きだったりもするのだ。

術後なくなってしまった味覚はびっくりするくらい早く戻っただとか。むしろビールの味の違いが分かるようになったとか。自分にとってストレスなことはやめよう、とか。芝居の公演やライブを毎週やっているだとか。

父は強い。本当に強い。つらいこともたくさんあるはずで、そっちに気持ちが傾くときもいっぱいあるだろうけれど、おそろしく前向きなのだ。

父が癌になった後の方が、一緒に飲みに行ったりして昔より話をするようになって、関係が近くなったような気がした。


そんな父は「今の芝居の方が昔より面白いって言われるんだよね笑」って、笑顔で言う。

お芝居ではストーリーの中で「え?何言ってるかわかんない」って言われるシナリオでネタにしちゃってる。公演が終わってからいろんな人に「今のお前いいねえ~!」って言われてる。

もちろん病気をしてよかったとはならない。まだ終わってなんかいない。私が面白いって言われたわけでもない。私はあくまで私で父の代わりにはなれないし、私が苦しいなんてお門違いだ。

それでも、父がそう言いながら笑う姿に、私は勝手に救われている。


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