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命日の続編を書いてみたいと思います。
今日はなぜか・・起きたらめっちゃ遅い時間。アラームも止まってる・・。
午前中はなんとか雨も降らずでしたが、午後は雲行きが怪しい。
雨雲レーダーを見ながらお墓参りに出かけた。

到着する時間は雨が過ぎてる!
雨雲レーダーすごっ!時間ピッタリやん。
お墓の上空は青空です。

お酒を墓前において・・まぁ、飲んで~!と。
父がおちょこで飲んでた姿が浮かんできましたが、喜んでるかどうかは定かではありません。父はどうやら母しか眼中になさそうです。
そんな事を母はわかってるのかな??

まぁいい。私は私のできることだけをするべし。


父の全盛期は、完全なる昭和で日本も活性化してる時だったと思います。
戦争時代も体験してる割には贅沢で、祖父母が頑張ったおかげだと思います。祖父とうりふたつの父は・・・写真で見ても間違うぐらいソックリ。
見た事がない祖父ですが、まぁ・・写真を見たら父とうりふたつ。
しぐさもそっくりらしい。

祖父母はどうやら・・・見えないものを信じる人だったらしく・・。
父は信じてない!と言ってましたが・・それも怪しい。
「お化けがおるんだったら出てこい!」って言ってたけど、ホントに出てきたら腰を抜かすんだろうなぁ・・と想像します。

そんなものは見えないけど・・何か感じるものがあったのだろう・・と思いました。勢いで吹き飛ばしてたでしょうが。直感は鋭かったかも。


私は、幼少期の頃を凄く覚えてるんですが・・。
初の保育園は、父の勤務先の真隣で、窓が向かいにあったので、必ず父が昼間にお弁当を食べてる姿をずっと見てるんです。
パンチパーマのサングラスで、腕組して見てるんです・・最悪ですよね。
先生が・・「お父さんがまた見てるな。」と、仕事がしづらそうな雰囲気だったのを覚えてます。

何かで泣いてると・・窓ごしに、「どうしたん?」と言ってたりしてましたね。私の事はどうやら好きだったらしく・・案外連れまわしてくれたような気がします。
赤ちゃんの時には、知らないおばちゃん(たぶん、父の彼女だろう・・)に抱っこされた記憶もありますね~。


趣味のように、競輪、競艇、パチンコは連日のように行く。
何か持ってきて欲しいと連絡があるんですが、持っていく所は決まってパチンコ屋。今のようなクリーンなパチンコ屋じゃなく、タバコの煙がモクモクの、変なおっさんが並んで打ってるのが当時のパチンコ屋でした。
渡した瞬間に店を出る!というのが定番です。
父はよく「隣で打て」って言ってましたが・・・断って即、帰ってました。
だって・・私、高校生ですよ。パチンコしてえ~の??

競輪も競艇も・・「何番と何番?」と、いきなり数字を聞かれて答えると、
その番号を購入してきて、当たるとおこづかいをもらえるのです。
なぜもらえるか・・私はわかってないけど、一応もらうのですが・・。
後日のレースで、もらった分を貸さないといけないからストックしておくんです。お金がくるくる回る感じですね。預かってるだけ~。


こんな話は序の口。序の口。かわいい遊びのような話です。
家の家電がどんどん無くなっていったり・・・母の着物がどんどん無くなっていったり・・・それも今思うと・・序の口ですよ。

当時がおもしろかったのか?時代なのか?
今が平和すぎるのか?なんだかよくわかりませんが・・・。
古きよき時代だったな・・・と思います。

ホントに昭和の時代は、バカボンパパみたいな人が多かった。
うちの父は、自分を菅原文太のように思ってたのかもしれませんが・・。
それもどうだか・・文太さんも、その筋の出身ですから本物ですよ。
父はその筋の出身じゃないし~。
父の文太妄想は生涯続いたんでしょうね。

親父シリーズはたくさんありすぎて終わらない・・。
気が向いたら続編を書こう。


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