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「羨ましい」と女が言うとき

女が「羨ましい〜!」という時、実はそんなに羨ましくは思っていない。

いつだったか、私が「羨ましい〜」と発言したのに対して、「そんなに人のこと羨ましがらない方がいいよ」と大真面目に注意してくださった男性がいた。

違うのだ。女が羨ましいと言うのは、「すご〜い!」と同義的に使われることが多々あり、一種のリップサービスである場合が多いのだ。

その時の「羨ましい〜!」も、もちろんリップサービスだ。もちろん、ちょっとは「いいなぁ」という気持ちが混ざっているかもしれない。けれど、それはごく表面的な、単純な気持ちだ。明日になれば忘れてしまうほどの。そして、言われた方もまんざらではなく、「ふふふ、いいでしょ」なのだ。

「羨ましい〜」は、相手のいい気持ちを引き出すための魔法の言葉だ。相手を優位に立たせていい気持ちにさせるけど、本当はそんなに羨ましくは思っていないので、痛手を負わない。

しかし、本当に羨ましい時は、「羨ましい」と口にしたりしない。なぜなら、羨ましいを通り越して、「妬ましい」からだ。

それは嫉妬なのだと思う。自分と比べて、自分より優れている。あるいは、自分の持っていないものをあの人は手に入れている。そんなときには嫉妬心が起きる。

そして、嫉妬心は向上心のバネになる。「なにくそ、私だって!」と頑張れるのである。

私は今まで自分のことを、あまり人を気にしない人なのだと思っていた。気にしないと言うといいふうに聞こえるかもしれないが、私の場合はむしろ「あまり人に興味を持たない」と言った方が正しいかもしれない。

誤解のないように言うけれど、人が嫌いなわけではない。ドラマを見れば感動するし、近しい人の心配もできる。ただ、自分の時間が人より幾分大切なだけだ。

しかし、最近自分の中にも嫉妬心がしっかりとあることを発見した。人の成功を素直に喜べない自分が、たしかにいた。なんだ、自分も人間らしいところがあるじゃないか。

とすると、きっと何かを抑圧しているに違いない。今は、何を抑圧しているのか模索中だ。いい年をして、と言われるのは心外だ。人は成長を止めたらつまらない。脳は鍛え続ければ、高齢になってもずっと知識を吸収することができるという。

若い時は肩肘を張って、周囲にも自分にも自分をよく見せようと頑張っていたが、年を経るともう面倒くさくなるのかもしれない。これから自分のダメさ加減をひとつずつ知っていくのも、刺激があって面白いかもしれない。

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