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日本人には違和感?韓国の光復節

8月15日と言えば、日本は終戦記念日で知られるが、韓国では日本の帝国主義植民地から解放された記念日として慶祝式が行われた。

YouTubeでも式典の動画が多数あり、韓流でかなり韓国に親近感が増した日本人でも、このような様子に少し尻込みする人も多いのではないか?


しかも大人の式典に留まらず、子ども番組でも光復節の話題を大々的に取り上げている。

「光復節│我が国の1年│8月15日│大韓民国万歳│KBキッズ」


子供たちがおじいさんから光復節の意味を聞く話だが、「日本に文字も名前も禁止されていてそれが解放された日なんだ」とかなり重い話もしている。

以下はちょっと上の子供向け
だが、さすがにもう日本では絶対流せない内容である。


こうした光復節の扱いを見ても、日本の終戦記念日とは真逆の雰囲気に多くの日本人ら戸惑ってしまうだろう。


そこで今回は日本人に何故光復節が違和感なのか、2点ポイントを上げてみたい。


1日本人は輪の外側にある

日本人なら右とか左とか関係なく、恐らくほとんどの人が持つ感情だと思う。

かく言う韓国オタクの私でさえ、その気持ちは禁じ得ない。

先日、とあるグループチャットの韓国人は「光復節で日本の植民地支配から解放された式典で涙が止まらなくて嬉しくて感動的だった」と語っていた。

日本人と韓国人の間には大きな溝があることを痛感する瞬間だった。

しかし、大事なのはそれではないと思っている

2 無知から来る偏見と誤解

確かに私たち日本人には、光復節は輪の外を自覚させられる時でもある。

光復節は日本人として複雑な気持ちになるのは確かだ。

普段韓流、韓活を声高に発信来てる人でも、光復節や三一独立記念式典のような時には口をつぐんでしまう。

だが問題はそこで終わってはいない。

光復節があるのは戦中朝鮮半島を植民地支配をしていたのは事実であり、創氏改名でハングルの使用禁止、日本式の名前を強要して来た。
そのことは紛れもなく歴史的事実である。

それだけでなく、半ば強制的に土地を取り上げ、人員補充のために強制連行も行った。

光復節の記念式典は大韓民国としては当然の権利である。

そこに日本が干渉をするのであれば「戦前の同化政策回帰」となってしまう。

3それでも道半ばだった光復節

実は光復節は手放しで喜べる日だとは考えていない。

確かに1945年8月15日をもって、朝鮮半島は日本の支配から解放された。

しかしその後、彼らには朝鮮戦争という新たな苦難が襲いかかって来た。

特に日本にいた朝鮮人たちは戦中創氏改名で皇国臣民、つまりは一度日本人として扱われていた。

しかし1952年、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復する際、それまで「日本国籍」を保有してしていた在日朝鮮人、コリアンは同意なく国籍を剥奪した。

日本の国籍法は、厳格な血統主義を基調とする国籍法であるため、父母が外国籍である子は、日本で出生したとしても、日本国籍を取得しない。

国際人権NGO反差別国際運動

このため、1952年に民族的・種族的出身を理由に日本国籍を剥奪された在日コリアンの子孫は、両親のどちらかが日本人と結婚していない限り、日本国籍を取得しないことになる。
このような国籍法の下では、4世、5世になっても外国籍のまま暮らす在日コリアンの例もある。
実際、1952年に日本国籍を剥奪された在日コリアンの中には、100年以上にわたり日本に居住してきた家族もいる。

国際人権NGO反差別国際運動


このように第二次大戦の傷あとは特に在日コリアンたちに今も大きく残している。

4光復節を日本人はどう向き合うべきか?

同じ日に制定されている終戦記念日と光復節。まるで明暗が分かれるかのような日だ。

しかし、ここで自分がどちら側の人間か表面だけを見て一喜一憂するべきではない。


表面的な立場に一喜一憂し固執しすぎると、私たちの場合は嫌韓・ヘイトスピーチにまで発展する恐れがある。
これは簡単だが、実はとても危険なことでもある。


こんな話は子供でも分かるはずだ。しかしなぜかしっかり明言化しないと分からない人が多いのが今の日本だ。

いくら起業や出世で社会的地位を得ても、こんなことも分からないようでは真っ当な大人とは到底言えない。


光復節は確かに韓国の祝日である。そして他国のことでありながら日本が無関係でないという複雑な立ち位置もある。


韓国の光復節や三一独立運動に歓喜する彼らを前にどうたち振る舞えば良いか戸惑う人も多いのではないか。

私たち日本人はどうすれば良いか?

オーストラリアの歴史学者、デッサ・モーリス・スズキはこのように語る。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」

河原ノリエ 連累-戦後70年談話によせて

引用文の中で、日本の女子学生とアジアからの女子学生からこんなやり取りもあった。

「日本はアジアどう向き合っていけばいいのか?」においては日本人女子学生から「いつまで私達は謝り続けなければいけないのか?」という意見が出てきた。
それに対しアジアからの女子学生は「同じ世代の人からそんな意見が出てくるなんて信じられない」と応答した。

引用同上

今すぐ簡単に腑に落ちる話ではないかもしれない。

かく言う私でさえ、初めは居心地の悪さを感じていた。

しかし、多くの良心的韓国人であれば、今の「日本人」への憎悪を持っている訳でない。
求められているのは、前述の通り日本人自身が連累の意識を共有して行くことである。

光復節の韓国の人たちを無視し続ければ、それはメディアやネットを通し、日本人の愚かさを世界中に晒し続けることになる。


日本人から光復節や三一独立運動から少しずつ良心を知る人が増える事を願わずにいられない。

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