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良い日と悪い日

小学生のころ、良い日か悪い日かは家を出る前にみるテレビの占いでほとんど決まっていた。


運勢が悪かった日は、ほかの局の占いをみて少しでも良い日にしようとしていた。

すべての占いが悪かったときは、今日は人生で最低の日だ、、って思いながら一日をスタートさせていた。

(なんて不健康なの・・・)


あるとき、運勢が良くても悲しいことは起こるし、運勢が悪くても嬉しいことが起きることに気がついた。


それからは、占いをみるのをやめ、日々起こる出来事で良い日、悪い日を決めるようになった。


中学生になって、つらいことがびっくりするくらい増えた。


それでも毎日を良い日にしたくて、「良いことに注目しよう!」とこころに決め、些細な幸せに気づく特訓を始めた。


それに、良いにも悪いにも固執したくなくて、目が覚めたら昨日のことは忘れる!ように脳を切り替えてた。


毎日が新しい日。
こころは毎朝ニュートラル。


私の経験上、人はポジティブな感情に慣れやすいし、忘れやすい。


でもネガティブな感情は、まったく逆。

なかなか忘れないし、常に追いかけられているような気分になる。


先日、久しぶりに良いことしか起きてないかも!という日があった。

平常運転の時間<良いことが起きてる時間


家に帰って、一日の出来事を振り返って気づいた。

良い出来事って私が起こしているわけではなくて、誰か他の人が私にもたらしてくれている。


当たり前のことなんだけど、忘れがちなポイントな気がする。


ということは・・

もしかしたら、私の言動で誰かの一日をものすごくハッピーにできるかも!


もちろん逆も然りだけど、

ハッピーをたくさんもらったから、その人たちに返すだけじゃなくて、

他の人にも親切でいたいし、ハッピーを届けられる人でいたい。


そんなマインドセットでいると、

ちょっと乱暴な言葉を受け取っても、気にならなくなるというか。


「この人はハッピーを最近受け取れていないのかも?」なら、
私のできる限りのハッピーをこの人に渡そう!って思えるんだよね。


このハッピーの循環をみんなが実行したら!って考えると、もうわくわくが止まらない。


「明日も良い日になりますように」の代わりに、

明日もたくさんのハッピーを届けられますように

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