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キラキラ

高校生ってキラキラしてる。



もちろんそうじゃない人もいるだろうけど、母校に行って部活に顔を出したりするとそう思う。




今日の最初は高校時代の話。



私は高校時代、演劇部に所属していた。
世の中の人は演劇部と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろう。変わってるとか、元気がいいとか。プラスの人もいればマイナスな人もいるはずだ。



私の所属していた演劇部は、すごくキラキラしていた。もちろん主観的に見ての話だが。


演劇には大会が存在する。多くの演劇部がその大会に向けて頑張っているところが多い。

私の母校はそれなりに力を入れている方だった。だから、大会前には休み無しで練習する。休み無しなので辛いときもある。でも、それが苦痛じゃないなと思えた時もあった。

大会に向けて頑張っていた時、私は、とにかく輝いていた。みんながみんな一丸となって輝いているように見えた。
大会に落ちたときでも、その次に全国まで上がったときでも、物凄く今が楽しくて今が輝いていた。


世の女子校生がするような人並みな青春は全くと言っていいほどしていない。
だが、部活の中での青春は人一倍していた自信があった。自分自身、それでいいしそうしていることが楽しかった。



要は、頑張っていたのだ。

そして、バカだった私は、その青春が大学生になっても頑張れば付いてくると思い込んでいた。




私はそのまま大学生になった。




大学ってゆるすぎないか?


私は1年生なので、別に授業はそんなに緩くはない。



私が言いたいのは、その他。


今現在も、大学の生温さを痛感している。勉強でもサークルでも友人でも、何に対してもそうだ。



なぜ生温いのか。

それは、個人に主体性が委ねられるからだろう。
高校のように環境に守られていない。それが人によっては良くも悪くも影響する。自分の行動で全て変わってしまう。


私は、学校に守られて青春をしていた。衝撃だった。



頑張る青春に、いや頑張る青春を学校に守られていた私は、なんだか物足りなさを全てに感じた。友人の考えの緩さ。イベントの無さ。特に演劇は、正直、大学の演劇を観たときに私はびっくりしてしまった。これはまた別で書くが、少なくとも今までやっていた演劇とは違った。


自分の青春だった演劇はどこに消えたのだろう。



その演劇を観てからずっと、そう考えていた。



大学というのは、自分自身で動かなきゃ何も始まらない。動くことができなかった私は、何も楽しくなかった。



動かなくても楽しそうな人はいる。
でもそれは、私が求めている楽しさとは違った。高校時代のような、あのキラキラと輝く青春はどこか幻想のように思えた。



これを書いている今も、昔の話を幻想に作り変えているのかもしれないと思うと怖くなる。



キラキラしたい。
誰しもそう思うときがあると思う。
でも、私の中のキラキラは頑張らないと、自分が動かないとやってこない。


幻想に浸るのは、もうやめた。


私はまた、新しく歩き出すことにする。


抜け出したい。抜け出す。

今をやり抜くために。




今頃、キラキラしたいと言っていたバイト先の高校生は何を思うだろう。


自分が思う青春は、全て自分次第だ。

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