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友人関係は紙と石版

浪人時代、よく仲間としょうもない議論をしていた。

「人生とは何か」「恋とは何か」みたいなことを、大真面目に語り合っていた。

高校とも大学とも違う予備校という場所は、放課後みたいな雰囲気がいつもどこか漂っていて、青くさい私たちを受け入れてくれる場所だった。

ほとんどが取るに足らないような話だったと思うのだけど、いくつか、今もたまに思い出すことがある。

その一つが、野村という男友達と話した「友達のあり方について」についてである。

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野村と私は、意見が正反対だった。

野村は普段から友達思いで、連絡もマメ。進んで幹事をやるタイプという訳ではないけど、集まりがあれば必ず顔を出す。

私といえば、メールも電話もどちらかといえば苦手で、用件があるときしか自分から送らない。みんなで集まるのも好きだけど、ひとりでいるのも苦じゃない。

野村いわく、「友達関係は常に更新してく必要があるものだ」と。
私の意見は逆で、「一度友達になった人なら、更新しようがしまいが友達だ」と。

野村の思う友達関係とは、「紙に鉛筆で書いたようなもの」。
たしかにそこに文字はあるけれど、こすれたり時間が経ったりすると段々文字が薄れてきてしまう。

私の思う友達関係とは、「石版に文字を彫ったようなもの」。
一度刻んだ文字は、時間が経っても消えることはない。もちろん、その文字をさらに深く彫り直すことはできるけど。

どちらが正解なんてないし、人間関係なんて相手によって変わるものだから、定義をしてみたところであんまり意味はない。

だけど大人になって、野村の言ってたことの大事さを知る機会も増えた。
生きてる時間が長くなるほど、疎遠だった人に「よっ」と声をかけづらくなるのも事実だ。

私にとって野村は石版に刻んだ友達だけど、野村の中で私はだいぶ薄くなってるのかもしれない。ふとそんなことを思ってすこし寂しくなった。次の帰省のときには、予備校同窓会の幹事をやってみてもいいかも、とか思っている。柄じゃないけど。

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