『書く習慣』読んだら箸置きできた理由

夕飯をたべながら、家族と話すのも大変にかったるく感じていることに気づいた。

だれとも口を聞きたくない。ずっと体育座りをして、床を見ていたい。暗い部屋で床とだけ仲良くしたい。

ざわざわした人の声が、子どものたてる大きな物音が、もう、しんどい。

いよいよ、魂から、疲れてるぞ、と思われたので、夫に後を任せて、夜中家を抜け出してきた。



最近1ヶ月くらい、ずっと泣きそうな気持ちだった。

起業の準備をして、
会社員も変わらずしていて、
3歳児もいて、
やることだけは沢山あり、
いつも誰かに謝っていた。

疲れていてごめんなさい。
一緒にいられなくてごめんなさい。
時間がなくて元気がなくてごめんなさい。
余裕がなくてごめんなさい。

多方面にわたって迷惑ばかりかけており、
けれど多分かっこつけて、平気なふりを一生懸命していた。

うそでも笑っていれば元気になるぞ、と信じて。

しかし起業で人とトラブルがあり、大変な迷惑をかけてしまった。

重さを支えていた最後一枚の板が、
スコーンと抜けてしまった感じ。


げんきなカーチャンでいたかった。
有能で明るい同僚でありたかった。
気を遣わせる迷惑な存在になりたくなかった。
気を抜くと本当はそんな存在であることがバレてしまいそうで、怖かった。

そんなことを思っているから泣くこともできなくて、
かといってみんなとの会話も楽しめなかった。
明るいみんなが恨めしかった。
本当はただじっと黙っていたかった。


限界だなと思った。

さて、どうしたものか。

元々、人と話すことが大の苦手で、
書いたり読んだりすることで心を整えていたのに、もう、1年くらい、まともに書いていなかった。

書いた方がいいのはわかってる。
でも重たいの、気持ちが。
書ける気がしない。

背中を押してもらいたくて、
ずっと気になっていた、『書く習慣』を買いに行った。


最初、本文が読めなかった。

前向きすぎて、まばゆい光が放たれていて、深く暗い穴の底にいる自分にはむりだった。閉じた。

とりあえずなにか読書を、と思って別の本をトライしたものの……

世の中の大半の本というのは人間に光を与えようとするものであるので、
光を求める人間に手を差し伸べるものであるので、
薄暗い穴の底にいる私は、当然他の本も読み進める事ができなかった。

ぼーっとした。
そのうち、「せっかくスタバにきたのだし、なにかしなきゃ損だ」という気持ちもわいてきた。

なにか一つくらい私にもできるアクションがあるのでは、ともう一度『書く習慣』を開いた。


第2章。
「自分日記」の話。

<起こった出来事>と、<感情>を書くだけの
メモをしよう。

といった趣旨のことが書いてあった。

例文が「ムカつく」とか「悲しい」とか
本当に一言だけ書いてあるものであったのに励まされて、

それくらいなら、と書いてみた。


結果、

沢山、書けた。

「限界 きてる」から始まって、
会社、家族、友人、、、あらゆる方面に対する罪悪感と、自分を徹底的に否定する気持ち、他人との比較、無能感、

そして
「迷惑をかけている」「消えたい」
という言葉が最後に出てきた。


「あ〜私、死にたかったんだ」

と思ったら、涙が出た。

「死んでもいいよ」
と思ってみた。

「無理に生きなくても、いいよ」

涙がわあわあ出た。

ティッシュを忘れたので、スタバの紙ナプキンを拝借した。
涙の波がぐわっと来るたびに1枚使って水分を拭き取った。ふいて綺麗に畳んだら、ちょうど箸置きにちょうど良いくらいの感じになった。

ボロボロの箸置きが4個、できた。

疲れた。

死にたかったんだね、と自分に言ってやったら、
とても楽になれた。



こうやって、ちゃんと泣けるのはいつも、1人の時だけなんだよな。誰かにハグしてもらっても全然だめで。

なんてさびしい、なんてロンリーな、
ひとり上手であることか。

きっと生涯、こうなんだろう。

泣いた後に、ゆずシトラスティーを飲んで、
それはそれは美味しかった。

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