見出し画像

火事に遭われた河瀬さんご一家を撮影させていただくことになりました。

焼けてしまったお家を片付けるべく伺ったこの日、久しぶりにお会いできた河瀬さん。

まさかこんな形でなんて夢にも思いませんでした。

画像4

初めてお会いしたのは、西日本豪雨災害の被災地でした。新たな復興支援を目指す一般社団法人FUKKO DESIGNの代表理事をされている河瀬さんと、視察に同行させて頂いたことがきっかけです。

集落ごと流されてしまった場所や、あたり一面が浸水しゴーストタウンになってしまったように見える場所・・・
まだまだ復旧・復興半ばの場所を、二日間かけて回りました。

お会いできたのはそれ以来のこと。
河瀬さんが発信されたSNSを見たときには言葉を失いました。

復興支援に携わっている河瀬さん自身こんな被害に遭われるなんて。
なんて残酷なんだろう。そして私に何ができるだろう・・・

そんなことを考えているうちに、瞬く間に河瀬さんを支援するグループがSNSで立ち上がります。河瀬さんを心配する声や応援のメッセージが次々と投稿され、多くの方が「何か私にできることはありませんか」と同じくおっしゃっていました。

そうしてまずはお家の片付けをお手伝いすることとなり、久しぶりにお会いできたこの日。河瀬さんの力になりたいとたくさんの方が集まりました。


写真を通じた災害支援をしている私は、撮らないかもしれないけど、念の為カメラを持ってきていたので尋ねました。
「河瀬さん、写真、どうしましょうか。」

するとこう答えてくれました。
「ぜひ撮ってほしい。こうして来てくれたみんなを撮ってほしいなあ。」


画像5

画像6

画像8

画像8

有志で集まられているみなさん。
黙々と、ただひたすら、手を動かされています。
作業は到底1日では終わりません。

ほぼ全焼に近い河瀬さんのお宅は、ほとんどのものが焼けてしまいました。
そんな中でも、少しでも河瀬さん一家の思い出が、何か残っているものがないかと慎重に探しながら作業をします。

画像9

画像10

でも、残っているものはほんのわずかでした。

形はかろうじて残りすすにまみれて真っ黒でも、思い出がいっぱい詰まった、大事な大事なものばかりです。

画像11

画像12

家族の思い出が詰まったオルガンも。

「うちの奥さんが音楽が好きでね。この家を建てるとき、このオルガンが入るように設計してもらったんだ。何もかもあっという間に燃えちゃったよ。」

そんなふうに教えてくれた河瀬さん。


お話を聞いている私でさえこんなに胸が苦しくなるのに、河瀬さんは、そしてご家族はどんなに苦しいのだろう。


何も言えません。


画像15

画像14

画像13

何度か休憩を挟みながら作業は続き、たくさん用意した袋はあっという間にいっぱいに。休憩中には河瀬さんと一緒におにぎりをほおばりました。

ものすごく大変な状況の中なのに、時折笑顔を見せてくれました河瀬さん。それを見て安心・・・と言っていいのかはわかりませんが、駆けつけたみなさんも少しだけ心が落ち着かれたのではと思います。

そんなこの日の作業終わりに集合写真を撮りました。そしてその日のうちに河瀬さんに送ったら、その写真とともにこんな言葉を添えて支援グループに投稿してくださったんです。



画像19

火災後、初めてのゴミの運び出し。
ひさしぶりにみんなの顔を見て涙が出そうだった。家中を煤まみれになりながらゴミをかきだしてくれて、本当にありがとう。
休みの日なのに…仕事忙しいだろうに…。
どんだけいいやつなんだよ、みんな。
メッセージも、お見舞いも、次々と届いている。
いつか家が直ったら、お世話になった人をいっぱい招待したい。そしてみんなでいっぱい笑って、たらふくご飯を食べたいなぁ。
汰木 志保さん、写真ずっと撮ってください。
みんなの笑顔が僕にとっては宝物だから。

私には河瀬さんをはじめご家族のお気持ちを計り知ることができないけど。
新しい宝物を作るお手伝いならできるかもしれない。

だから、これから少しずつ、火事に遭われた河瀬さんご一家を撮影させていただくことになりました。


新しいお家でたらふくご飯を食べて、いっぱい笑ってる河瀬さん一家の写真。
その宝物を撮る日までも、お手伝いできたら嬉しいなと思います。

サポート、心より感謝します。 頂いたサポートを糧にがんばります!