見出し画像

山頂の神社がナゼ五穀豊穣の神なのか??【都道府県シリーズ第2周:山形県 小国町編no.1-6】

山形県南西部の小国町(おぐにまち)は大部分は山間地域ですが、市街地一帯は平野部になっています。
平野形成の要因の1つとして注目した地すべり地形の上部には、周囲に民家がないにも関わらず、ポツンと神社があります。
その歴史を調べたところ、何と戦国時代末期(正確には桃山時代末期)に建てられたものでした。

前回記事はコチラ👇

今回は沖庭神社をもう少し深堀りしつつ、地すべり地形と平野部との関係について考察していきたいと思います。


沖庭神社はなぜ作神なのか?

前回の記事で紹介したサイトによれば、沖庭権現は昔から作神(つくりがみ)として信仰されていたとされています。
作神とは農業の神様で、豊作を祈ったり収穫を感謝する際に信仰の対象となる神様のことのようです。
別名「田の神」とも呼ばれ、コトバンクでは田の神の方が詳しく解説してありました。

地域によっては田の神と山の神を一体とする(神様は春~秋は平野部にいて田畑を守り、冬は山へ行く)考え方もあるようで、そう考えれば、山頂部にある沖庭神社を作神として信仰するのも不思議ではないのかも知れません。

でもやはり引っ掛かる・・。
あくまで私見ですが、田畑の神を山に求める場合、「水源として重要視される場所」のような気がします。
そう考えると沖庭神社がある山は流域面積が非常に狭いです。むしろ東の山地の方が数倍も広く、水量も段違いなハズ。

前回紹介した光兎山と関連付けた信仰であれば、修験道がメインになりそうなものです。にも関わらず作神として信仰されている・・。
何となく腑に落ちません。

平野部のお祭り

沖庭神社についてもう少し調べると、お祭りがあることが分かりました。

このお祭りは「五穀豊穣と無病息災を祈願するお祭り」だそうです。

やはり農業の神様と結びついていますね。
お祭りでは獅子舞をするそうですが、これも上杉景勝絡みで伝わったそうで、獅子舞そのものは五穀豊穣とは無関係で、あくまで「後付け」のようです。

そしてさらに面白いことに、このお祭りが実施される場所は、沖庭神社ではありません
平野部にある「舟渡」と言う集落で行われているそうです。

舟渡周辺の地形図:スーパー地形より抜粋

小国町平野部の北西にありました。
この南西に沖庭神社があります

それにしても、このような山間地域に「舟」と言う地名なんて、不思議です。南東部には「舟場」と言う地名もありますね。
また画像外ではありますが、北には「網代瀬」と言う地名もあります。
「網」は一般的に漁業にまつわる地名だそうです。

もちろん川があるので漁業はあったのかもしれませんが、小国町の平野部の中で、漁業を連想するような地名はこの一帯だけです。
では、河川規模がこの一帯だけ特別大きいかと言えばそんなことはなく、平野部の平均です。

とすると、昔はこの一帯が湖沼地域だったと考えてみるのはどうでしょう?
そもそもこの平野部の成因として「下流の狭窄部で堰き止めがあり、一時的に湖沼地域になっていた」と言うのが私の仮説でした。

いよいよ、繋がって来た感じがします!

平野部の地質

「kunijiban」(国地盤と言う意味でしょう)とは、国土交通省がこれまでに日本全国各地で実施したボーリング調査のデータを閲覧できるサイトです。

これで小国町を見てみたところ、平野の南東部でかなりのデータがありました。本当は舟渡がある北西部を知りたいのですが、しょうがないですね。

小国町平野部南東部のボーリング調査箇所(赤点が調査地点):kunijibanより

このうち平野の中央部のデータを見てみましょう。

ボーリング柱状図の一例:kunijibanより

これは柱状図(ちゅうじょうず)と呼ばれるもので、ボーリング調査で得られた地質分布等のデータをとりまとめたものです。
私もこれまでの技術者人生の中で数えきれないほどの柱状図を作成してます(;^_^A

この柱状図を片っ端から見て行くと、なかなか面白いことが分かってきました。
いよいよ、平野形成と地すべり地形、沖庭神社がつながって来そうです。
次回へ続きます!

お読みいただき、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?