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「立体」で考えると見えてくる【都道府県シリーズ第2周:山形県 小国町編no.1-4】

山形県南西部の小国町(おぐにまち)は大部分は山間地域ですが、市街地一帯は平野部になっています。
平野がつくられるには「土砂が溜まる」必要があり、その土砂の供給源として、平野部西の大地すべり地帯に着目しています。
この地すべり地帯には多数の地すべり地形が見られ、その1つに着目したところ、その地形的特徴から晩年期の地すべりだと考えられます。

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今回は地質的な観点からも考察してみたいと思います。


地質図で確認

まずは考察中の地すべり地形を再確認しましょう。

小国町市街地西方の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

赤点線が地すべり地形の範囲で、青線から東が「地すべり土塊が侵食によって失われた斜面」です。

地質図でも確認してみましょう。

小国町市街地西方の地質図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

色々な地質がありますが、「薄い黄色」「ピンク色」に着目します。

薄い黄色の地層

薄い黄色の地層は、地すべり地形の大部分に分布しています。
この地層は新第三紀中新世の前期から中期(約2000万~1400万年前)礫岩です。
一般的に考えると、礫岩は地すべりになりにくい地質です。
しかしこの礫岩は「海成~非海成混合層」とのことで、何回か環境変化があったと考えられます。
とすると、全体的には礫岩が主体でも、細かく見ればシルト岩や泥岩も挟まっていると考えられます(※逆に言えば、礫岩だけでなくシルト岩や泥岩も見られるため「海成~非海成混合層」と判定されたと言うこと)。
おそらく、シルト岩や泥岩にすべり面が形成され、地すべりになったのでしょう。

ピンク色の地層

ピンク色の地層は中生代後期白亜紀(約8400万~6600万年前)花崗岩です。
花崗岩は地すべりになる場合もありますが、珍しいです。
そして私が「現在は地すべりではない」と判定した青線の範囲とだいたい被っていますよね。
つまりこの地域の場合「急斜面は概ね花崗岩の分布地と一致し、かつ地すべりではない」と言えます。

「地質構造」を考える

地質構造とは、簡単に言うと「地層や岩石の立体的な位置関係」のことです。もう1度、地質図を見ましょう。

小国町市街地西方の地質図(再掲):スーパー地形画像に筆者一部加筆

地質図はあくまでも「地質の平面分布」です。
つまり空中から地上を見下ろした時の、地層や岩石の分布(地面を覆う表土は除外)を表しています。
地質の専門家は地形図の等高線から地形をイメージし、地層境界線と等高線の位置関係を見て概ねの地質構造を想像することができます。

一般の方々にとっては、地質図から地質構造を読み取るのは難しいので、ここでは「地質年代と各地質の形成過程」を手掛かりにしてみましょう。

地質年代は、上で解説したように花崗岩の方が古いです。
次に各地質の形成過程に着目しましょう。

○花崗岩の形成過程
花崗岩はマグマが地下深くでゆっくり冷えて固まった岩石です。
つまり、もともとは地下深部にあったものが、長い年月をかけて隆起して地表に現れました。
例えば兵庫県の六甲山や茨城県の筑波山などもそうです。

○礫岩の形成過程
礫岩は堆積岩の一種であり、水の流れによって運ばれ、堆積して形成されます。
堆積岩は一般的に「地層塁重の法則」で言われる通り、既に堆積した古い地層の上に新しい堆積物が積み重なるため、「下よりも上の方が新しい」という法則があります。

以上のことから、地表に隆起した花崗岩の上に礫岩が堆積したと考えることができ、「花崗岩の上を礫岩が覆っている」と言う地質構造を思い浮かべることができます。

確かに地形も考慮して地質図を見てみると、「斜面の上の方の標高の高い場所に礫岩が分布し、それよりも低い場所に花崗岩が分布している」と読み取れます。
そしてこのことから「青線より東の花崗岩分布地帯はかつて礫岩に覆われていたが、地すべり活動に伴う侵食で礫岩が失われ、その下にあった花崗岩が地表に姿を現した」と考えられます。

実はこの記事のトップ画像を見ると、それが理解できます。

小国町市街地西方の地質図(立体図):スーパー地形より抜粋

スーパー地形を3D表示にしたものです。
これを見ると、花崗岩の上に礫岩が載っているのが直感的に分かると思います。そして東の花崗岩分布地域は「上を覆っていた礫岩が削られた」ように見えませんか?
このように、地質的な観点からも、やはりこの地域は晩年期の地すべりだと言えますね。

今回は以上となります。
お読みいただき、ありがとうございました。

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