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駿府城は災害に強い!【お城と地形&地質 其の三】

戦国時代の「城」は、様々な理由でそこに建っています。
その地域を治めるために立地が良いとか、政治的な意味もあるでしょう。
そして何より他大名との戦での「守りやすさ」も重要です。
そのような「お城」を地形・地質的観点から見ていくシリーズ。
其の三は「駿府城」です!

駿府城の歴史

14世紀(1300年代)に今川氏が室町幕府から駿河守護に任じられ、その時に建てられた今川館が原型になっています。
今川義元の死後は、武田氏に支配され、その後は徳川家康領に。
現在のような「城」になったのは、1585年以降の家康の改築によるものだそうです。

参考サイト👇

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、武田信玄によってあっさり陥落したイメージですが、その地形・地質的な立地条件はどうだったのでしょう?

駿府城の場所は?

さっそく地形図を見てみましょう。

駿府城位置:国立公文書館アーカイブ「駿河国」に筆者一部加筆

図の赤丸が駿府城。
川と川の合流点付近にあるようです。

次は現在の地形図で見てみましょう。

駿府城位置②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

ドーンと引いた画像です。
伊豆半島が見えるので位置関係は掴みやすいかと思います。
伊豆半島の根本に箱根山、その北西に富士山があります。
富士山の北の薄茶色が甲府盆地で、武田信玄の本拠地があります。
このように見ると、武田信玄の駿河侵攻の際にどんなルートを通ったか?気になってきますね。
それについては、また別の機会に。

駿府城位置③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

拡大しました。
2本の川の合流点付近にあります。
この図では小さくて見えづらいかもしれませんが、城の堀が綺麗に地形図上でも見えています。

それにしても、静岡市はなかなか特徴的な地形をしています。
追々話してきますね。

駿府城位置④:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さらに拡大しました。
この縮尺で城のかたちが分かるなんて、ちょっと感動的。
さすが家康が将軍を退いた後に本拠地にしていただけありますね。

駿府城の絶妙な位置

駿府城を地形的に見ると、かなり絶妙な位置にあることが分かります。

駿府城周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

駿府城の西の河川は、青点線が安倍川、水色点線が藁科(わらしな)川です。
この地域の河川の中では突出して流域面積が大きく、多くの土砂を流出したため、綺麗な扇状地を形成しています。

駿府城周辺の地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

そして北東の河川が安倍川と比較して極端に小さいため、上図の赤点線のように、扇状地が駿府城の北東まで及んでいます。
そのため駿府城の位置は、周囲よりも少し高い丘になっています。

おそらく北東まで達している土砂は、100年に1度など、滅多にない洪水で運ばれてきたと考えられます。
ですので、大雨で安倍川が氾濫したとしても、駿府城まで達することはほとんどなく、まさに洪水に強い城だと言えます。

もちろん周辺地域の黄色い区域も洪水被害を受けにくいので、城下町が栄えやすかったと考えられます。
さらにその周囲の低い区域(青系の色)は、おそらく水田地帯だったでしょう。
城下町エリア・水田エリアの中心付近ですし、この地域一帯を治めるには、非常に丁度よい立地ですよね。

敵から守るには?

駿府城は地域の中心地に立地していて治めやすいだけでなく、災害に強い城として素晴らしいのは分かりました。
しかし時は戦国時代
敵から守りやすいかどうか?も非常に重要です。

駿府城周辺の地形図③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

西は安倍川が壁になっており、守りやすそうです。
また南東には有度山(うどやま)が海岸線まで迫っており、よい障壁です。
侵入しやすいのは北東からでしょうが、この長尾川・巴川流域は周囲より標高が低く、昔は湿地が多かったと思います。

と考えると、なかなか守りも優れた立地にあると言えます。
少なくとも岡崎城よりは守りやすいと思いますが、以上のような「地形的な壁」を突破されてしまうと、あっという間に陥落しそうではあります。

武田信玄はそのあたりを上手く突いたのでしょうか?
次回はそのあたりを考察してみたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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