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気になる、ストリートフォト問題

※後半の投げ銭用のおまけ記事、無料公開に変えてみました。
硬めの前半と、気軽に書いたゆるゆるの後半のギャップをどうぞ。

ネット上での写真公開についての基準というものは、人によって曖昧だ。
今回こちらの記事をうけて、自分の感じている事を書いてみることにした。

ストリートフォトは、現代において難しいジャンルだと思っている。
肖像権と写真の文化という問題に、明確な答えが出されていないからだ。

SNSが一般的になったこの時代、撮られた写真が見も知らぬ他人の目に触れる機会は飛躍的に上がった。上記の記事の中の女の子のように「後ろ姿さえ撮られたくない」という人もいれば。撮られようが公開されようが、全く気にしない人だっているだろう。

個人個人によって、基準が曖昧であり。
法律ではっきりと禁止されているわけでもない。
"良識"という不確かなものに頼る、限りなくグレーな領域。

それが現代における、ストリートフォトだと感じている。

個人的なボーダーについて、述べるのであれば。

承諾を得ていない、相手の顔がハッキリとわかる写真はアウト。全くの他人が本人を目撃したとしても、特定されないような姿であればセーフ。肖像権の侵害に当たらない事、それから自分がされて嫌ではない事。それが自分の中の基準になっている。

自分の場合は顔が出ている写真を勝手に使われることは、例え友人でも嫌だ。
一言こちらに許可を求めてくれれば、快諾するとしても。勝手にネット上に顔出し写真をアップするというのは、非常識な行為だと認識している。

SNS氾濫以前の"ネチケット"が重視される頃からネットの世界に触れていたかどうか、でこの辺りの感覚は分かれるのかもしれないが。とにかく、自分にとって勝手に顔を晒されるというのは"常識を疑うような行為"に当たる。

ただし当時と比べ、顔出しについて寛容な世界になってきているのも確かだ。
自分も抵抗は薄れてきているので。許可さえ求められれば、ほぼ全てについてOKと答えている。だから"非常識"と感じるのはネット上にUPすることよりも、"許可も取らず"という部分に対してなんだろう。

自己責任においてリスクを負うのと、他人にそれを押し付けられるのは意味が違うし。こちらの感情をないがしろにされている、とも感じるのだと思う。

上記の個人的な感覚とはまた別に、肖像権の侵害の事もある。

記事内の彼女の「盗撮じゃない」という発言に対しても、決して厳しすぎる言葉ではないと感じる。公開目的で撮影しているのなら、なおさらだ。

しかし「後ろ姿までダメ」となると、それは厳しすぎるのでは…とも思える。
風景を目的とし、想定外に映り込んだ、容易には特定不可能な写真については。肖像権においても、問題のない範囲と捉えられるレベルだろう。

とはいえ。
それとは別の次元で、彼女のこの言葉に反論しようもないのも事実だ。

「あなたが被写体にどれだけ敬意を払っていようが、彼等にとってはそんな事関係ない。私だったら、たとえ後ろ姿でも勝手に写真を撮られたくない。」

これは彼女個人の感覚で、考え方だ。だからこそ、彼女がそう感じる事自体は誰にも否定できない。

そして「その発言に何も言い返せなかった」というのも当然だ。勝手に撮られた相手がどう考えるのか、確認をとっていない撮影者にはわからないのだから。「そう感じない人もいる」というのは事実だけれど、写真の中の人間がどういう立場か不明であれば。それは有効な反論材料にはなりえないだろう。

肖像権と、個人の感覚。はっきりとした指針がないぶん、こうして考えてみると後者の方が明確にクリアすることは難しそうに思える。

例えどれだけ素敵な写真であったとしても。

前者に盛大に引っかかりそうなものを承諾なく公開するのであれば、それは己のエゴの優先。だからこそ不都合があろうが、問題があろうが、訴えられようが、人間関係が壊れようが、引き受ける…そういう覚悟が必要で。そうでなければ、手を出すのは憚られる領域だ。自分ならば、面倒な問題はリスクにしかならないので公開しない事を選ぶだろう。

後者については、個人レベルにおける考え方の基準なので。クレームがあれば相手の要望に沿って行動することにしている。例えどれだけ大勢がOKを出そうと、その人にとってはそうではないのだから。
起きてもいない問題に神経質になる必要はないけれど、起きれば誠実に対処するしかない。承諾を得て掲載したけれど、使い方にクレームがあれば取り下げる…という場合だってある。

これがざっくりとではあるけれど、今の方針だろうか。

自分の場合は仕事として撮っている部分もあるので、人物の掲載許可は必ず確認を取っているし。その感覚の延長上で、趣味で撮影する場合も顔がハッキリわかるものは公開を避ける。

しかし撮影対象や、興味のあるジャンルが違えば。また感覚も異なってくるだろうと思うと…他の人の線引きがどのようなものであるか、気になる所だ。

あなたの一線は、どこにあるのだろう?



<おまけ>
こういうテーマなのであえて写真に注釈をつけると…

※写真1 個人の判別ができない豆粒に、肖像権はないと認識
※写真2 これは特定可、承諾のない場合はアウトと認識(もちろん承諾済)
※写真3 後ろ姿とぼかし、人込み観光地という立地的にセーフという認識
(メインの着物女性は依頼者で承諾済だから、元々セーフではある)

こういう感じ。

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投げ銭用のおまけ記事、思ったより長くなったので。
無料公開に変えてみました。

だいたい、こんな感じで。
本文よりも軽い文体で、意見もより率直なのがおまけ記事。
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ストリートフォト、いいよね。
見るぶんにはね、見るぶんには格好良いし素敵だって思う。

彼女の言う「確かにあなたの写真はカッコ良く撮れているし、こういうジャンルの写真があるのもわかる。」、まさにそれ。

でも自分がそんな風に、全然知らない誰かのエゴを満たす為だけにSNSに載せられたら?ってなると。それはなんか嫌だなぁ、ってなる訳です。

これ格好良いだろ、素敵だろ、自分のセンスすごいだろ。
見も知らぬ他人の、そんな承認欲求の道具として使われるのって。
なんか気分悪いなって。

InstagramやFBって、そういう感じ。コンセプトを持って作品として発表する、っていうよりは。自分の撮ったものを見て見て!評価して!ってイメージが強い。


それから、これはあるかなぁって思う。

撮影者の知名度や信頼度次第か??いやいや、コンセプトの有無か?クオリティーの差か?被写体が何かしらかの経緯でその写真を目にしたときの感情次第か?撮影者の意図を被写体が納得出来る形で発信しているか否か?

ほら、実生活でも。同じ事したのに、この人だと怒られてこの人だと怒られないとか。あの人は評価されたのに、自分は…とかあるでしょう。

それって信頼度とか、クオリティーとか、根回しとか、話の持って行き方や感情の操り方とか。色んな要素が絡まりあった結果、OKだったりノットOKだったりする訳で。

例えば…

友達が、ものすごく美しく撮れた自分を許可なくネット上で公開していた。変な自分に酔ったポエムと一緒にだったら、どれだけ説得されても許さないかもしれない。でも自分の心に響く文章が添えてあり、かつ「なぜ大勢に見せたかったのか」を納得できる理由で真摯に熱く語られたら。もしかしたら簡単に許しちゃうかもしれない。

基本のルールはあるけど、自分の中で一定の基準を持っていたとしても、時と場合と人によりけりで…こうやって安易に覆ってしまうかもしれない事なんだよね。人の心って、とても不確かで曖昧だから。


そう考えるとストリートフォトの基準って、やっぱりとってもグレーゾーン。

自分には知名度もポリシーも説得する熱意もないから、あえてやろうとは思わないけど。かといって、全否定するような事でもないんだよ。明らかに法に触れる事でもないし、1つのジャンルとして成立してる文化として大多数の人が違和感なく認識してる。

ただ思わぬ不都合があって訴えられたり、友人に盗撮扱いされたり、撮られた人に不愉快にさせたりね。そういうリスクを背負った上で、っていうのは念頭においておいた方がいいよね。

とりあえず自分は、勝手に顔出し写真さらされてたらムッとするし。
見も知らぬ他人だった場合は、まず「それはやめて」って言うと思うよ。


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