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万人受けは死んだ個性なのかもしれない

6/23-24と開催していた、初めての個展が無事に終了した。

「3~4時間程度あれば大丈夫だろう」と気軽に考えていた搬入が、ぶっ続けの10時間作業となり…終電を逃してタクシーで帰宅したり。展示後の写真の数に圧倒されて「これは数の暴力では…?」と不安になってみたりと、予想外のことも色々あったけれど。

多くの方にご来場いただけたこと。これだけの数なのに、じっくり目を通していただけたこと。持って帰る写真を選ぶのに真剣に悩んでいただけたこと。数多くの差し入れを頂いてしまったこと。そんな嬉しい方面での予想外も沢山あった。

予算や労力を考えると、「すぐ次の企画を!」とはならないけれど…数年経って写真のストックが増えたら、またこんな風に人と繋がれる写真展をやってみたいと考えている。

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今回、写真展をやってみて感じたことは「人の好みの多様性」だ。

人物写真を見て「この優しさが良い」とおっしゃる方、「文章がいいね」と声をかけて下さる方、「やっぱりみきさんの撮る風景写真好きです」と言って下さる方…何を良いと感じて下さるかは人それぞれで。持ち帰る写真を選ぶ理由も、様々で。求めるものは人それぞれ違う、ということを実感した。

そしてだからこそ、他人に合わせる必要はない…と思えたのだ。

近年ではインターネットやSNSで簡単に何でもシェアできるようになり、それらに対して他人からの評価がつけられるシステムが浸透してきた。それに伴い他者の視点に敏感にならざるを得ず、いいねやスキの数に一喜一憂することも増えたのではないだろうか。

しかし万人受け、というのは個性を殺すことでもあると思う。また他人軸に振れすぎてしまうことも、そうだ。

他人から褒められたいばかりに、人の求めるものばかりになってしまう…仕事なら、それも正解だろう。だけれども表現の分野でそうすることは、自分の心の内にある火に少しずつ水をかけていくようなものなんじゃないだろうか。他人の心を震わせる為に、自分の心が震えなくなってしまってはそれは本末転倒というものだ。

どっちみち、好きな人は好きで。興味がない人はない。嫌いな人は嫌いなのだ。心に響く箇所は人それぞれ、それは変えられない。

だったら自分らしさをわざわざ他人に合わせて曲げていく必要はない。やるべきは響く人のもとまで届くように、機会を作って範囲を広げていくこと。より深く響くことを求め、持てるものを研ぎ澄ませる為に歩み続けること。そういったことなんじゃないだろうか。

それが、今回この写真展に来てくれた人達を見て感じたことだ。


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写真展に足を運んで下さった方、応援メッセージを下さった方、本当にどうもありがとうございました!!


広島で、大人から子供まで人物の出張撮影をしています。自然な情景を、その時間を…切り取って残したスナップ写真は、お客様だけでなく自分にとっても宝物。何かありましたら、ぜひどうぞ!

ユルリラム
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