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いつ最期が来てもいいようにしておきたいと思う

最近、背中が痛い。けれど、自制内なので、様子を見ている。
背中は痛いけれども、夏休みのうちに、中学生のむすめをなにか感動するようなところに連れて行きたいなぁと思い、わたしがずっと氣になっていた藤森照信さんの建築、秋野不矩さんの美術館に行ってきた。

素晴らしい建築と絵画に感動した。
「温もりのある建物で、いいなぁと思った」と実際の建物を見て、むすめが言ったが、実際に見て、感じることの大切さを味わえて、むすめと共有できてよかった。きっと、親は、こういうきっかけづくり・投げかけをする役割なんだろうなぁと思った。




今回、高速道路は使わず、知多半島から三河・浜松に入っていく流れを感じながら、ゆったりと運転して、車中の音楽タイムを楽しみにながら向かった🎶

*新城は、通らなかったのですが、三河方面で、サカナクションの『シンシロ』をBGMに🎶

写真は、西尾でお抹茶しながら、感想を聴く時間のもので、無関係ですが、駿河湾のダイナミックさを感じたり、空の色のコントラストを感じたり、橋が苦手な自分の恐怖感を再確認したり(笑)、いいドライブになった✨


夏休み、宿題のない学校に通うむすめ。
好きなことができる。
「人にぱぱっと、美味しいものをつくってあげたい😋」とむすめが言い、ボロネーゼを連日つくる練習をした。


わたしは、こうした氣持ちになることが、うれしいなぁと思った。
与えられた状況ではなく、自発的な言動✨創意工夫する姿✨
いいなぁーと母でありながら、なかなか我が子いいぞ✌と思った(*^-^*)



動画を観たり、音楽を聴いたり、本を読んだり、好き勝手にして、不規則なような生活も、きっと、いろいろと自分で考えた世界で、それだけでOKなのだろうと思う。

永遠に続くような氣がしたわたしのこどもの頃の夏休みの時間を思い出して、好きにしたらいいと思いつつ、その反面、親となると、どこか無駄にしないで、有効につかうことを希望している自分に氣付く。
わたしの人生ではなく、むすめの人生なので、好きにしたらいいのだけど・・・自分が通って来た道だから、よりよくを求めてしまいがちなのかもしれない。
中学生の頃まで、関わりが強くあり、その後、疎遠気味だった、親戚の中でも一番お世話になった叔父の訃報が今朝入った。

これから、叔父の元に向かう。
けれども、その前に、文にしておきたいと思い綴り始めた。
おじさんは、わたしの中で、『北の国から』の五郎さんのように、優しい存在だった。

数日前、『北の国から』を見直して、わたしのこれまでのいろいろに思いを巡らせたり、母方の親戚が多く住む、静岡に昨日行ったり、叔父の存在をどこか思い出していた。
近年、逢いに行こうと思いながら、どこかブロックした思いがあり、今一歩踏み出せなかったことを今回の訃報で氣付く。悔やむ。

やはり、人には、限りがあるのだ。
生きている間にしかできないことは、タイミングを逃さずに、しておきたいと思った。
いつ最期が来てもいいように。

おじさんと話がしたかった。
悔やむ。


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