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不完全記憶ゲームについての戯言

前からやんわりと考えていた事を書いておく。

ご存知の通り、プレイヤーの不完全記憶をゲームの木で表現することは簡単だ。情報集合を適切に設定することで、「自分が過去に選んだ戦略が分からない」という状況を作ればいい。

それにもかかわらず現状のゲーム理論で不完全記憶を上手く扱えてないのは何故だろうか。文献を見ている訳ではないので、もう誰かが言っているのかもしれないが(もし知っていたら教えてほしい)、不完全記憶の扱いづらさの(implicitな?)原因の一つは、ゲームの木という表現方法に対して、均衡という概念の解釈の幅が狭いからではないかと思う。

不完全記憶ゲームの特徴は「今ゲームをプレイしている」という言外の意味がある事だ。有名な ”Absentminded Driver” の例では、車を実際に運転している状況で、自分がどこで右折すべきか分からなくなる状況を表現している。つまり、ゲームの木はそれだけなら「今ゲームをプレイしている」という解釈を許容できる。問題は、均衡という概念が大概それを許容しないという事だ。

有名な話だが、例えばナッシュ均衡には2通りの解釈があると言われている。1つは、プレイヤーが実際にゲームをプレイする前に行われる推論の結果という解釈、もう1つはゲームを何度もプレイした後の定常状態という解釈だ。読んで分かる通り、どちらについても「今ゲームをプレイしている」という解釈の余地がない。

ゲームの木を使って不完全記憶がある状況を表現するのは簡単なのに、いざ均衡戦略を見つけようとすると、ゲーム理論において最も基本的なナッシュ均衡という均衡概念ですら、解釈上の問題が出てきてしまうという訳だ。



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