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人生の意味について・皆殺し編

※『ひぐらしのなく頃に』の深刻なネタバレを含みますのでご注意下さい。
※「人生の意味の哲学」に関するの真面目な論考でもありませんので、ご留意ください。



人生の意味

『皆殺し編』を終えたその日の夜に、戸田山和久著『哲学入門』を読み終えた。読み応えのある本で読み通すだけでも中々大変だったのだが、その最後の章「人生の意味ーむすびにかえて」には大変感銘を受けた。なぜこんな話をするかというと、ここに書かれていた内容と『皆殺し編』での梨花の行動が不思議と重なるからだ。


本に書かれていたのは、要約すると以下のような事だった。

人間は人生を無意味に感じてしまう事がある。哲学者トマス・ネーゲルによれば、それは「人生を懸命に生きる自分」と「それを一歩引いた目線で見てしまう自分」とのギャップによる。客観的に自分を見る事ができても、人生からは逃れられる訳でもなく、自分を高みから見下ろす事ができる訳でもない。そうした二つの自分の衝突が、必然的に我々の人生を無意味に感じさせてしまうというのだ。しかし、ネーゲルの問いは「そもそも人生の無意味さは解決すべきか」というものだ。よくよく考えてみると、一歩引いて自分を眺める事ができるのは素晴らしく人間的だし、人生の無意味さを考えるのも人間的だ。むしろそれを受け入れて、「はは、俺何がんばってんだか」と時々皮肉を交えながらも一つ一つ懸命に生きるのがよいのではないか。少なくともそうして積み重ねていく限りにおいて、我々は人生を生きる価値あるものとみなしていると態度で示しているのだし、もしかすれば生きるに値する人生を自身でつくれるかもしれないのだから。


梨花が『皆殺し編』で取った行動を思い出してほしい。梨花は当初、自分の周りの出来事に干渉し物語に変化を促す努力を避けていた。何度も失敗を繰り返していく中で、成功のために努力したり成功に期待したりすると失敗したときの落胆がより大きくなる事を学び、そのギャップから来る辛さに耐えられなくなってしまったからだ。それは、自分の運命に絶望してしまえば「精神的な死」が訪れ二度と戻れなくなると知った梨花の防衛策であり、同じく傍観者であるが人間ではない羽入の真似事だった。

しかし、自らの運命に疲れ、生き続ける希望を失いかけていた梨花にとって本当に必要だったのは、いつか来る最高の未来を傍観者として待つ事ではなかった。むしろそれは、懸命に生きて価値のある人生を自らの手で作ろうとする意思だった。圭一の行動によってその事に気付かされた梨花は、自分の運命と望みについて羽入に時々皮肉を言いつつも、最後の最後まで死の運命に抗う覚悟を見せた。だからこそ、たとえ「皆殺し」という最悪の結末を迎えてしまっても、今まで繰り返してきた中で最高の人生だったと心から思う事ができたのだろう。

『皆殺し編』での梨花は、努力しても無意味に終わるかもしれないという事実を受け入れ、それでもなお懸命にあがいて一つ一つの場面で出来る限りを尽くそうとした。こうした梨花の選択は、先程の人生の意味についての言説の実践であるように私の目には映る。梨花の『皆殺し編』における行動が、我々人間が度々感じられてしまう人生の無意味さに向き合うための生き方を教えてくれているのではないか。

結論

レナかわいい。僕を白川郷に連れて行ってください。

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