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【閲覧注意】5年間の労働日記をnoteに晒して供養する

今日は、製薬企業に勤務していた5年間寝る前につけていた仕事日記をnoteに晒して供養したいと思います。

改めて読み返すと労働のストレスによって精神が相当追い詰められており、過激な表現も多々見受けられたので閲覧注意とします。

以下 日記(抜粋)















2019年3月4日(初日)

初日というのもありかなり緊張していたの覚えている。
この頃はまだ字も綺麗。
前職で精神疾患になっていたこともあり、「とにかく自分を守ろう」という言葉からそのことがわかる。

2019年3月20日

「最もしんどい」とあるが何があったか全く思い出せない。
「死が全ての栄光」とあり希死念慮が増しているのがわかる。

2019年7月4日

この日に前に通院していた病院へ行ったらしい。
入社して約4ヶ月で再発してしまった。

2019年9月12日

入社して約半年、遂に退職することを決意した(1回目)。
しかしこの時は引き留められ結局残ることになった。

2020年4月17日

なんでこんなこと書いたのか全く思い出せなかったが、日付を見て思い出した。
2週間後に転勤を告げられた日だった。
精神状態は最悪で、精神安定剤のジアゼパムなしで生活することはできなくなっていた。
それがのちのジアゼパム依存へと繋がっていく。

2020年5月26日

何があったか忘れたが、反出生主義思想が深まっているのが伺える。

2021年4月21日

この500日というのは実質勤務日の換算(基本休日は書かない)。
毎日しんどすぎて感覚がおかしくなっていることを記述している。

2021年10月26日

趣味である腕時計を買うか悩んでいる時だと思う。
物欲でストレスを発散させるのには限界があると気付いた。

2022年5月16日

恐らく、職場のおばちゃん共に何か言われたんだろうな。
反出生主義が加速している。

2023年11月30日

完全に仕事のストレスが限界突破したのがこの日。
残業後に上司に「もう無理」と電話かけたのも記憶に新しい。
とにかくどんな形でも生きていくことの大事さを書いている。

2023年12月21日

本当に退職を決意(2回目)して社長にそのことを説得に行った日。
逃げることの大切さを改めて理解する。

2024年2月8日(最終日)

最終日。
一部の人から恨み言を言われたことを書いている。
誰でも辞めることはできる。
辞めない選択をしているだけと改めて思わされた日でもあった。


改めて読み返していて感じたこと

入社して半年で辞めていたらジアゼパムに依存することはなかった。

無理して5年間働いていたが、やはり精神疾患を持ちながら働き続けるのはかなりスキルを要する(できることはできる)。

反出生主義思想も加速し、この5年間の記憶があまりない。

良いことといえば金が貯まったことぐらいだ。

辞めた今だからこそ声を大にして言いたいが、

憂鬱くらいならいいが死にたくなったら仕事を辞めるべき

私は病院通いが再開してずっと希死念慮に苛まれてきた。

希死念慮をかき消すためにジアゼパムを飲み続けてきた。

結果として依存症になったわけで、精神や身体に何もいいことがない。

次また仕事に就く時は、健康を害さないような働き方を模索していきたい。

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