餃子の話

私にはストレス解消用料理というのがいくつかある。
ストレスが溜まっていて、しかもある程度の体力と時間があるときは、餃子を作る。
豚ひき肉の小さいパックに、ニラと白菜を刻んで入れて、生姜とにんにくをすりおろし、塩コショウごま油片栗粉。刻んでいるあたりからストレス解消モードで、うぉりゃーと思いながら刻みまくり、餡を練るときも、こんにゃろーと思いながら思い切りかき混ぜる。気が済んだら按分して今度は黙々と20個包む。半分焼いて、残りは5個ずつ冷凍。冷凍した分は、別の日に焼いたりスープに使ったりする。

料理は食べたくて作るわけだけれども、餃子の場合は半分はストレス解消が目的である。疲れているときや食べたいだけのときは惣菜を買うが、この場合は手作りでなければならない。スカッとするためには手作りするほかない。
そしてまたこんなふうにイライラをぶつけながら作っても、最高に美味しいのだから悔しくも感激する。今日も勢いで文科省への憤懣八つ当たり餃子を作ってしまったが、食べたら美味しくお腹も満たされて少し落ち着いた。

餃子といえば、大学の頃、研究室の新歓では必ず餃子を作った。餃子はハレの日のたべものであるからだが、みんなで(学部生から教授まで)研究室内で餃子を作って食べるというのが習わしだった。分担して買い出しに行き、料理好きなドクターの先輩や助手さんが指示出しをして、わらわらと手分けして動きながら、餃子をメインとしていくつもの料理を作り、宴会をするのだった。
いつもはどでかい辞書類、古い文献などを広げているテーブルの上で、野菜を刻んだり、皮をこねたり、カセットコンロで煮炊きする。普段はなかなかお目にかかれない教授から、酒の嗜み方や過去の様々な体験談を拝聴し、趣味も学問もごちゃまぜに、とにかく「あなたは何に興味があるのか」についてを方々からひたすら尋ねられ、アドバイスをもらったり、コアでニッチな研究の話をしたりする。そんな特別な日があった。
あの空間は、今どうなっているのだろうかと思う。ああいった、純粋に好きなもののことを中心とした、研究が好きな人たちを中心とした、しあわせな世界。興味や好奇心が歓迎され、受け入れられ、尊重される、心地よいところ。料理が得意な者も、初めての者も、協力してひとしく餃子を作り上げ、大小様々、仕上がりも様々な餃子をつつく宴。
一人で作る八つ当たり餃子も悪くないのだが、あの新歓の餃子もまた、良いものだった。感染症対策の名のもとに、そんな文化も消え去ってしまったかもしれない。なんだかそれはすごく寂しいように思う。

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