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書評 #91|フットボールヴィセラルトレーニング 無意識下でのプレーを覚醒させる先鋭理論[導入編]

 フットボールにおける個人の上達。人それぞれが異なる強みや弱みを持ちながらも、それらをいかに発展させられるのか。無意識と耳にすると複雑に映り、その面も否めないが、教える側と教えられる側の双方から「上達する」ことの意味を言語化している。

 教えられる側を瓶ではなく炎になぞらえている表現が印象に残る。それは一般的な仕事にも通じる。情報を詰め込むのではなく、成長や向上する意欲を燃えさせる。一方でいわゆる「楽しいこと」や「得意なこと」ばかりでは意欲が燃え続けることはない。人間は緊急事態やマルチタスクによって動作、判断、それら取れる行動の質が高まり、選択肢の数も広がる。難しいことを解決しないと、人は成長しないと本書は論じる。

 複雑性の簡略化にこそ賢さが宿る。迷いの排除。教える側による教えられる側の成長促進。即興性の質向上。起こり得る場面を想定した準備と臨機応変に対応できる技術の研鑽。無限にも思える時間がその重要性を曖昧にさせるが、時間の短縮化を追求することこそが正義なのかもしれない。試合は就職の面接、仕事における打ち合わせや会議と根本的には同じだろう。

 ある試合で左にドリブルしようとしたら、相手が立ちはだかった。その時、頭が真っ白になった。それと同時に右足がボールを後ろへと引き、右へと方向転換した。そのプレーは最初から狙っていない。「身体が反応した」としか言えない。日々の練習。画面に映る選手たちのプレー。それらが体内に蓄積されていたからこそ、それは起こった。ひらめきに奇跡はない。積み重ねによってのみ訪れるのだろう。


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