【レビュー】大松達知『ばんじろう』(六花書林)

先にかりんの先輩・丸地卓也さんのブログでもレビュー(https://fuyuubutu.blogspot.com/2024/02/blog-post.html)があった大松達知さんの歌集。収録歌数は五百首を超えておりとても気合の入った一冊という印象でした。僕は大松さんと同じ英語の教員なので、大松さんの歌集は「ことば」に触れるときの誠実さや、ある意味生徒と同じような好奇心に満ちた目線にすごく注目して読んでいます。

トング、トング、口では言ってひそやかにこれはトングズ、トングズなんだぞ

深呼吸しながらシエラレオーネの山脈(シエラ)おもえば私語はしずまる

大松達知『ばんじろう』

「トング」が本当は複数形なのは、(雑に言うと)「パンツ」が複数形なのと同じ理屈。「シエラ」はポルトガル語で(実はスペイン語も同じ)「山脈」だから、「シエラレオーネ」は「ライオンの山脈」。アフリカの大自然がふっと胸に取り込まれたような感じがして、同時に子どもたちの私語も静まっていく。こうして、言葉に対するあくなき探究心は、専門とする英語を飛び越えて、あらゆる外国語への愛情となって現れる。歌集には他にもこんな作品に目を奪われます。

パラオ語のツカレナオスはビール飲むことそんなこと聞いている部屋

生きてきてはじめて使うベンガル語〈アッサラーム・アライクム〉すこし小声で

大松達知『ばんじろう』

パラオ語はその歴史的経緯から、日本語の多くを借用語として取り入れている。そして、おそらくパラオ語の母語話者は、それを意識せずにほとんど日本語と同じ発音・意味のパラオ語を用いている。「そんなこと聞いている部屋」と軽く流すところには、かえってその事実を驚きなく受け入れている、言葉の専門家らしい落ち着きが見られるように思います。一方、純粋に学問としての語学に携わる主体にも、子どものように無邪気に外国語を「使ってみる」という楽しみがある。それがベンガル語の〈アッサラーム・アライクム〉と言うあいさつなのは、お約束というか、さすがというべきか。

予備校のポスターに〈本土国立大学進学〉とあり沖縄一九九七年

大松達知『フリカティブ』

もちろん、言葉にはすべからくその政治的・社会的な事情が反映されるということにも、大松さんは自覚的(だからこそ「パラオ語〜」の歌が作れるのでしょう)。上にあげた歌は第一歌集からの引用だが、〈本土〉に滲む微妙なニュアンスはおそらく今現在もあまり変わっていないように思います。『ばんじろう』に収められた沖縄の歌には、幼い歌人の娘の存在も映し出されています。まだ幼い生徒たちや、もっと幼い我が子の発する「言葉」から、自らにとっての「言葉」の見方や考え方を再構築していく、これが成熟期に入った大松さんの歌作のテーマになっているのではないでしょうか。

君が知る高校はただひとつだけこんな高校と呼んで去りたり

あすのぼくからの元気を借りてきてもう一杯のワイルドターキー

うみかぜは海のことばを伝えおり幼子ひとり走り出したり

少年のイラストありてSusanも正解とするみんな笑うけど

死ぬまえにたべたいものをたべる日のようにしずかなチーズ牛丼

パラオ語のツカレナオスはビール飲むことそんなこと聞いている部屋

東京のこんなところに鷺がいるこんなところに僕もいるけれど

はい、これは分詞構文、ニューヨークタイムズの弾むような文体

〈正しいもの〉みずから作り問うておりひとつ選びなさいひとつだけ

生きてきてはじめて使うベンガル語〈アッサラーム・アライクム〉すこし小声で


『ばんじろう』十首選

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