【レビュー】富田睦子『声は霧雨』(砂子屋書房)
昔から何かとお世話になりっぱなしの、富田睦子さんの第3歌集。直近ではNHK全国短歌大会の予選選者でご一緒させていただきました。
今回の歌集で色濃く現れているのは、思春期の娘さんに向き合っている母親の顔。僕も教員としてこの世代の子どもたちには常日頃から接しているわけですが、より近いところで、しかもたったひとりの娘さんの心や身体と真摯に向き合っている歌を読むと、身につまされるものがあります。自分が同じくらいの年代だった頃のことを、ふと思い出してしまったり、そんな複雑な心境にもなりました。
歌として目立っているのは、こうした食卓や調理の場面を歌った作品。そのひとつひとつは地味と言ってしまえば地味なのですが、いろんなことを考えて気を配りながら食事を準備しているんだなあということが伺えます。食事の歌は生活と密接に関係しますが、引用した歌では事件を起こした「少年」という、自分たちの生活とは遠いところにいる人物へと思いを馳せながら、そうした非日常をより近い自らの家庭に引き寄せようとする様子が伺えます。食卓の話題に上ったこともあったのでしょうか。
そして、「食」の歌から想起されるのは、自らが歌人であり、かつ主婦であるというひとつの矜持です。
読者としては、どちらかというと「正しさ」の方向に針を振らしてしまうことの方が多いはず。その「正しさ」とは外れた場所にある「主婦なるわれ」
は、家族を守るものとして、正しく食事を準備したり、娘の成長に一喜一憂したりする。「正しさ」とはある一面だけでは決められないという当たり前の事実が、ここに突きつけられるのだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?