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ウィンストン・チャーチルから学ぶ。継続と積み上げの大切さ。

みなさん。こんにちは。津田です!今日も大笑いしながらハードワークします!

信頼を積み上げることは時間がかかるが、信頼を崩すのは一瞬である。
約束を守り続けることが大事。

僕はこのように、信頼関係を構築することや約束を守り続けることの重要性を経営を通じ学んで来ました。

特に大事なのが、「時間」と「お金」です。

繊細に、大事にしていくことが必須なのです。

さて、本日はそんな格言を残している「ウィンストン・チャーチル」さんについて紹介します♪

伝えたいこと①:「ウィンストン・チャーチル」さんの功績とは!?

さて、「ウィンストン・チャーチル」さんとの功績とははどんなものなのでしょうか?

彼は、1874年11月30日、オックスフォード近郊のブレナム宮殿で政治家の長男として生まれます。
祖父がアイルランド総督だったため幼少期はアイルランドで過ごします。

1895年にスペイン軍に従軍して初めて実戦を経験。1899年に除隊し、庶民院議員選挙に保守党候補として出馬するも落選。

1900年の第二次ボーア戦争には従軍記者として従軍したが捕虜となるが、捕虜収容所から脱走したことによりチャーチルは知名度を上げます。

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1900年の総選挙で保守党候補として初当選を果たす。その後、自由党へ移籍。

1908年、通商大臣に、1911年に海軍大臣に就任。

1914年に第一次世界大戦が始まると一度、海軍大臣を外されるが、再入閣を果たし、戦車の増産に努め、英国の勝利に貢献しました。

1923年、チャーチルは反社会主義の立場から、自由党を離党。
1924年の総選挙には保守党候補として当選

1939年9月に第二次世界大戦が勃発。これを機にチャーチルは海軍大臣として閣僚に復帰します。

1940年に首相に就任。

その後、数々の英断を下すものの、1945年5月、ドイツが無条件降伏などの影響から、保守党は惨敗し、チャーチルは政権を失う。

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チャーチルはその後も反共外交を行い、ヨーロッパ合衆国構想などを推し進めた。
チャーチルの回顧録『第二次世界大戦』は1953年にノーベル文学賞を受賞する。

数々の政治活動に寄与しました。

伝えたいこと②:深く知ろう「自由党と保守党の違い」!!

さて、上記の「自由党と保守党の違い」とは何なのでしょうか?

イギリスにはかつて、ヴィクトリア時代に活躍した二大政党として自由党と 保守党がありました。

※ヴィクトリア時代とはヴィクトリア​女王がイギリスを統治していた1837年から1901年の期間を指します。

自由党の推し進めた代表的な人物は「グラッドストン」です。自由党のおさえるポイントは下記の3点です。

①自由党は産業資本家や労働者を支持基盤としている。
②基本的に労働者に好まれる政策を行った。
③主に労働者中心の国内政策を進めた。

その一方、保守党を推し進めた代表的な人物は「ディズレーリ」です。保守党のおさえるポイントは下記の3点です。

①地主や貴族を支持基盤とした
②強硬外交を行う政党であった。
③対外政策が中心だった。

このように2大勢力の影響が今もイギリスでは根強く残っているのです。


伝えたいこと③:本日の格言!

さて、そんな「ウィンストン・チャーチル」さんの格言はこちら!!!

築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。
破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。
- ウィンストン・チャーチル -

信頼関係も同じですね。

コツコツと築き上げることが大事なのです。

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