大島理森さんの「私の履歴書」が描く政界の表と裏

2023年9月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は、前衆議院議長の大島理森さんが担当しました。

2021年7月に森山裕氏が抜くまで自民党の国会対策委員長としての在任期間が歴代最長であり、いわゆる国対族として知られるとともに、衆議院議長としても憲政史上最長の在任記録を達成したのが大島さんです。

また、青森県議を経て1983年に総選挙に初当選すると、亡父である勇太郎が三木武夫を尊敬していたことなどから、三木派を継いだ河本敏夫の河本派に属した経緯や、一時は総裁候補であった河本がついに総裁選に勝てなかったことや同派の海部俊樹が利クリート疑惑以来続く自民党の印象を一新するために総裁として担ぎ上げられたことで河本の首相への道が完全に閉ざされた際の様子の描写などは、大島さんの派閥政治家としての側面をよく伝えます。

それとともに、結党以来2度目の野党時代に総裁を務めた谷垣禎一の下で幹事長と副総裁を歴任し、雌伏の時を過ごした際を回顧し、次のように指摘する点は、注目に値します。

3年3カ月続いた民主党政権の期間に、現職議員14人、元議員11人が自民党を離れていった。なかでも与謝野馨さんが離党し、民主党の内閣に経済財政相として加わったのには、政策の実現という大義があったにせよ、大変なショックを受けた。
ただ、党がばらばらになるとまでは思わなかった。自民党には立派な本部があり、地方組織の建物もある。不満があれば文句を言いに行く先があるということだ。政治文化論みたいな話になるが、組織を維持するうえで、城があることは極めて重要だ。

こうした視点は、県会議員から出発し、1980年の総選挙に立候補するものの落選を経験するなど、様々な政治の場面を見聞し、挫折も経験した大島さんならではと言えるでしょう。

それとともに、自民党内では穏健派と見なされる番町政策研究所に属しつつ、党内の強硬派と目される麻生太郎氏を「党人政治家の風合いがある」と評価するなど、規制の枠組みにとらわれず、柔軟な姿勢を持つのは、一面において国対族として政治の裏面において与野党の対立を乗り越えるための取り組みを行った知見を活かしている結果であり、他面では「相手と日ごろから信頼関係を築いておく。そう努力してきた」という政治上の信念のしからしむるところかも知れません。

それだけに、三木武夫が河本敏夫を「大局を見〔な〕い、長期展望をもたないからな」[1]と評したことや「政界のフィクサー」や「寝業師」と称された玉置和郎が河本派を乗っ取る目的で同派への入会を目指した際に三木が強硬に反対したこと[2]など、特に河本敏夫への評価に偏りが見られることは、自叙伝の持つ特徴が明瞭に示されており、興味深く思われるところです。

いずれにせよ、「選挙では全人像が見られている」といった格言的な記述や、衆議院議長であった2017年夏に当時の安倍晋三首相と密会して憲法改正について意見交換を行い、「やはり9条です」と憲法改正は手掛けやすい事項からではなく、自らの目指す事項から始めるという強い信念を感じたという逸話は、政界秘話としても大変興味深いものです。

今や数えるほどになった自民党の党人派の系譜に連なる一人である大島理森さんの「私の履歴書」が一日も早く単行本化され、より多くの人の手元に届くことが願われます。

[1]岩野美代治, 三木武夫秘書備忘録, 吉田書店, 2020年, 428頁。
[2]同, 612頁。

<Executive Summary>
Tadamori Oshima and Half of His Life Seen from My Résumé (Yusuke Suzumura)

Mr. Tadamori Oshima, the Former Speaker of the House of Representatives of Japan, writes My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 30th September 2023.

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