【書評】池上英子・田中優子『江戸とアバター』(朝日新聞出版、2020年)

去る3月30日、池上英子先生(ニュースクール大学)と田中優子先生(法政大学)の共著書『江戸とアバター』(朝日新聞出版、2020年)が刊行されました。

本書は、2018年12月9日(日)に法政大学市ケ谷キャンパス外濠校舎薩埵ホールで行われた第13回朝日教育会議「江戸から未来へ アバター for ダイバーシティ」の内容を基に書き下ろされました。

当日のシンポジウムでは、田中優子先生の講演「江戸文化とアバター」、池上英子先生の講演「アバターで見る知の多様性--ダイバース・インテリジェンスの時代」、そして田中先生と池上先生に落語家の柳家花緑さんを交えたパネルディスカッションが行われました。

今回の書籍化に際しては構成が以下のように改められています。

序章 江戸と仮想世界--二つの覗き窓から(池上英子)
第一章 落語は「アバター芸」だ! 柳家花緑さんとの対話(池上英子)
第二章 「アバター主義」という生き方(池上英子)
第三章 江戸のダイバーシティ(田中優子)
終章 アバター 私の内なる多面性(田中優子)

5つの章の表題や書名そのものからも明らかなように、本書は「アバター」の概念を手掛かりに、一つの身体の中に潜む複数の「わたし」の姿を、異常なもの、病的なものとして捉えるのではなく、むしろ「わたしの中の多様性」を肯定的なものとし、社会の中の多様性へと拡張することの意義を説きます。

その過程で示されるのは、単一の普遍の下に集約される「ユニバース」ではなく、多元的な「マルチ・バース」という考えであり(本書122頁)、落語が単なる話芸ではなく「常識に対する非常識」を語るという視点であり(本書76頁)、あるいは、厳しい身分秩序の裏側で人々が様々な名前を用いることでそれぞれの場で多様な関係を結んだ江戸時代の姿(本書182-294頁)でした。

「アバター」を通して現在の社会の多様性を考えるとともに、江戸時代の「多名」や「別世」を参照することで「マルチ・バース」の可能性を検討する方法は、戦略的であるとともに説得的です。

もちろん、『江戸とアバター』という書名からも推察されるように、本文の中で江戸時代の社会の多様性が当然のこととして前提され、明治時代以降の社会のあり方の変遷が検討されることはあっても江戸時代に多様な社会が成立し得た理由が明示されていない点には、ある種の物足りなさが残ります。

しかし、社会学や脳科学などの最新の研究成果と江戸研究、さらに落語家による実体験に即した談話は、本書が持つ理論的な弱み十分に補うとともに、より活発な議論をもたらします。

その意味で、『江戸とアバター』は、多様性を認める社会を実現することは困難を伴うとしても不可能ではないことを、具体的な事例とともに示した好著ということが出来るでしょう。

<Executive Summary>
Book Review: Eiko Ikegami and Yuko Tanaka's "Edo and Avatar" (Yusuke Suzumura)

Professor Dr. Eiko Ikegami of the New School and Professor Yuko Tanaka of Hosei University published a book titled Edo and Avatar from Asahi Shimbun Publications on 30th March 2020.

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