武藤敏郎さんの「私の履歴書」が描き出した東京五輪の「問題の構造」

2024年1月期の日本経済の連載「私の履歴書」を担当したのは元財務次官の武藤敏郎さんでした。

「自分に向いていないようなら弁護士に転身する」と大蔵省に入り、接待汚職事件や2001年の省庁再編による金融と財政の分離による大蔵省の解体と財務省の誕生といった時代の転換点に当事者の一人として関わりつつ、財務次官として官界での栄達を極めた前半生と、「将来の日銀総裁」と目されながら衆参両院で多数党が異なる「ねじれ国会」のために野党民主党の反対によって国会の同意が得られないなど、不遇をかこつことになる退官後の歩みは、当時の国会内外の状況を色濃く反映したものであり、興味深い内容でした。

特に民主党との間柄の悪さについては、日銀副総裁であった武藤氏の総裁就任に強硬に抵抗した仙谷由人氏が、国会同意人事の秘訣の数か月後に金融に関する法律的な問題をテーマにプロジェクトを設けるにあたり協力を要請した際、武藤氏が「丁重にお断りした。」という一文からもよく分かります。

ただ、こうした武藤氏の歩みは官界出身者の「私の履歴書」では定型的な「政治と官僚との関係」の事例の一つであり、必ずしも真新しいものではありません。

むしろ、東京オリンピック大会組織委員会事務総長に就任してからの足跡を振り返る内容に、当事者ならではの独自の視点を見出すことができます。

すなわち、2020年2月からの新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴って東京オリンピック・パラリンピックを延期するか否かが問題となった際、2年間の延期を提案した大会組織委員会の森喜朗会長に対して1年間の延期での対応を主張したのが安倍晋三首相自身であったことや、「コロナ禍」による1年間の延期が保険事故と認められ、500億円の保険金を受け取ったことなどは、東京オリンピックを巡るある種の秘話と言える、重要な話題です。

一方、国際オリンピック委員会(IOC)の前では組織委がいかに無力であるかは2019年にマラソンの会場を東京から札幌に変更する案をIOCが主導し、組織委が全く介入できなかったという趣旨の記述が示す通りです。

さらに、森喜朗氏による女性を蔑視する発言が社会問題化し、2021年2月に組織委会長の辞任と橋本聖子国務相の就任に発展した点については、森氏のそれまでの功績が大きかったために意外な結末に至ったという旨を指摘しています。

これは、新国立競技場の建設を巡るザハ・ハディト氏の設計案の問題や大会エンブレムの模倣疑惑などについて思いがけない出来事であったという立場をとっていることに通じる、武藤氏の一連の出来事に対する態度が当事者としての切迫感に乏しい、どちらかと言えば拱手傍観するかのような様子を示しています。

こうした武藤氏のあり方は、実際に大会の運営に携わるのは一人ひとりの職員であり、様々な業務を大所高所から指導することはあっても一つひとつの事項には関わらないという名誉職としての事務総長の役割りに由来します。

それとともに、官界での生活が長く、退官後も官僚機構と関係の深い機関に所属していたため、武藤氏が政界の動向には敏感でも社会のあり方には十分な興味や関心を抱いていないであろうことを推察させるものです。

同様の事情は人々の側にも当てはまるのであり、首相在任中は有権者からの評価の低かった森氏が会長を務め、政官界では著名な武藤氏であっても日本に住む人々の大多数にとっては無名の、あるいは縁遠い存在であった人物が組織委員会の事務総長となったところに、東京五輪に関する問題が起きた際に人々からの支持を得ることが難しい状況を作ったと言えるでしょう。

その様な意味において、武藤敏郎氏による今回の「私の履歴書」は、東京五輪が内包していた「問題の構造」を明瞭に描き出すものだったのです。

<Executive Summary>
Toshiro Muto and Half of His Life Seen from My Résumé (Yusuke Suzumura)

Professor Toshiro Muto, a former Vice-Minister of Finance, wrote My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 31st January 2024.

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