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手塚治虫の命日によせて

2月9日は、故手塚治虫さんの命日。わたしが16年以上続けている「一日一画」では、ほぼ毎年、この日には手塚さんにちなんだ題材を選んでいる。

これは間違いなく言えることなのだけど、手塚治虫はわたしの人格形成に最も強い影響を与えた人物だ。良くも悪くも。

1989年2月9日の訃報は、とてつもなくショックだった。当時わたしは中学生で、訃報の載った新聞の夕刊を手にした時は、茫然自失でしばらく動けなかった。

手塚マンガの影響にどっぷり浸かっていた中学生のわたしは、300ページを超える自作の長編SFマンガを描いて、自費出版までしていた(出資者は親だけど)。そんなだったので、わたしの手塚治虫好きは学校では有名だった。訃報の翌日に登校すると、友人や先生が心配してくれて、たくさん声をかけてくれたのを覚えている。

わたしが最初に手塚マンガに接したのは、小学生の低学年のころ。テレビアニメはいくつか観ていたものの、本や雑誌のマンガの方には縁がなかった。たまたま買ってもらった、講談社の手塚治虫漫画全集の何冊かが始まりだった。なかでもユニコが大好きで、何度も何度も繰り返し読んだ。小学校のクラブ活動で所属していたイラストクラブでは、そのユニコとか、『漫画生物学』の、いろんな動物が擬態しているシーンなんかを描いていた。

初期〜中期の作品はもちろん、ブラックジャック、三つ目がとおる、ブッダ、火の鳥など、主だった手塚マンガのほとんどは、後追いで読んだ。火の鳥は、太陽編だけがリアルタイム。あとは、少年チャンピオンに連載されていたミッドナイトとか、ニコニココミックのアトムキャット、絶筆になった3作(ネオ・ファウスト、ルードウィヒ・B、グリンゴ)が、連載時に読んでいた作品。

雑誌に連載されていたものは、単行本になったら必ず買うからという理由で、もっぱら書店での立ち読み。ネオ・ファウストだけは、すぐに単行本にはならないかもしれないと、朝日ジャーナルをときどき買っていた。朝日ジャーナルを読む中学生・・・いま思うと、これも人格形成に影響していたのかもしれない。ネオ・ファウストのベースになっていた、ゲーテの戯曲ファウストも、図書館で探して読んだ。

氏の急逝によって、新たな手塚マンガが生み出されなくなった1990年代以降も、何かにつけて、過去の作品を読み返した。共産国の民主化、テロ戦争、自然災害、政府の右傾化、ネット社会など、社会の大きな変化に触れるたび、手塚さんが存命だったならどんな作品を描いてくれただろうと想像し、読み返した。

没後32年。多感な子供のころに感じた手塚治虫の偉大さは、まだそのままだ。手塚さんが多くの作品を通して訴え続けた、普遍的なメッセージ。これは全く色褪せることがない。色褪せないどころか、この32年で大きく変わった現代にも、とても説得力を持って響く。

毎年2月9日を迎えるたび、訃報を聞いた中学生時代のショックと、手塚治虫の偉大さ、氏が訴え続けたことが、あらためて思い起こされる。わたしにできる、ささやかな事として、この日には手塚関連の題材を描くことにしている。


せっかくなので、今までの2月9日の一日一画から、いくつかピックアップして紹介。一日一画を始めた2005年には、ペンでアトムの時計を描いた。この時計は、今もわたしのデスクスペースの傍にある。


そして、長男が生まれた2008年。この時は、妻の実家で、猫の"こま"とあわせて鉛筆で描いたヒョウタンツギのキーホルダー。このキーホルダーは、いまは長男の通学カバンにぶら下がっている。


たまたまケニアに居た2011年に描いたのは、ジャングル大帝のムーン山のモデルになったというケニア山。キスムからナイロビに移動する飛行機から撮影した写真をもとに、ナイロビの宿でオイルパステルをつかって描いた。


2016年には、ユニコのフルカラー復刻版。小学生のころに読んだ、漫画全集のモノクロ版とは違って、とても新鮮だった。40歳を過ぎたオッサンの心にも響いた・・・と思ったら、執筆時の手塚さんの年齢を計算したら、48〜50歳。妙に納得。


そして、今年。亡くなった直後に出版された『ガラスの地球を救え』。ブログにも書いているけど、現代にも通じるメッセージが多いことに驚く。


この『ガラスの地球を救え』、スケッチの題材にしたのを機に、32年ぶりに読み返した。その間、社会が変わったのはもちろん、わたしも色んなことを勉強し、経験し、親になって、大きく変わった。手塚さんの年齢に近づいて、あらためて、当時いろんなことに対する危機感から、手塚さんがこの本を書いた理由がわかるような気がする。いまのわたしの心に響いた文をいくつか引用しておきたい。

自然への畏怖をなくし、傲慢になった人類には必ずしっぺ返しがくると思います。

人間狩り、大量虐殺、言論の弾圧という国家による暴力が、すべて"正義"としてまかり通っていた時代が現実にあったことが、いまの若者たちには、遠い昔の歴史ドラマでしかないかもしれません。でも、女も子どもも無惨にあっけなく殺されていったのは、ついこの間の厳然たる事実なのです。

生命はかけがえのないもので、どう転んでも人生はたった一度だけであり、そして人類と同じように価値ある生命が自然界に満ち、それらが密接にありとあらゆる形で相互に生かし合っていること、また地球は人類はもちろんのこと、生物にとって絶対不可欠の星であることを熱意をもって、幼い時から語りかけていきたいと思います。

"ダメな子"とか"わるい子"なんて子どもは、ひとりだっていないのです。

ひとりひとりの子どもたちの、内部に眠っている宝のような何かに届く大人の眼差しがいま、求められているのではないでしょうか。

子どもの想像力や可能性は無限なだけに、かえって、幼いころにワクにはめる教育をしてしまうと、あっけなくその子の成長を奪うことになるような気がします。

一つの謎が解かれれば、その十倍の新しい謎がそこから発生する、というのがぼくの持論です。

ぼくは戦争中にイヤというほど味わってきましたが、送り手によって都合のよいように情報は歪められうるのです。そういう意味でも、常にぼくたち一般人は、情報に押し流されるばかりでなく、批判力を大いに養う必要があると思います。

メディアが増え過ぎてまごついて模索するより、もう今からそんな社会に生きるための身ごしらえというか下準備をしておかねばなりません。そうしないと、情報過多によってひき起こされるマイナスを防ごうと、政治が介入してくる危険性があります。

生きがいのある人生とは、お仕着せの、画一的な、ステロタイプ的な人生に、人それぞれが自分の個性を加味して独特のものにかえていく、そういうことではないかと思います。

ぼくたちは日ごろ、自分の力で生きていると思い込んでいますが、この大宇宙に満たされた目に見えないエネルギーが、ぼくたちを生かしてくれているという気がしてなりません。この途方もない永劫を生きる宇宙生命の一粒が人類なのです。

いろいろな挑戦をさせ、たとえ失敗しても抱きとめるゆとりのある社会、そして再度チャレンジ精神を子どもが培えるような文化状況を、ぜひともつくりたいと思います。

想像力は、大きな夢につながるものですが、ごく日常の現実、隣に住む人の悩みにだって届かせることはできる。それは他人の悩みをせんさくするという意味ではありません。自分以外の人の痛みを感じとるには、想像力が必要なのです。


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