見出し画像

終幕の足音

【456】

毎日毎日こうしてnoteを書いて今回で433日目になろうとしている。

こうした毎日を過ごしていると、毎日書いていない自分自身のことが全く想像出来なくなっています。

それは誰に頼まれたでも、誰と約束したのでもないことを毎日習慣化させてここまでやって来たからだと思うのです。

その数は1年365日を越えて今なおも続いてます。

いつかは終わりが来る。

きっとふいにそれは訪れる気がする。

そして、それがいつになるのだろうと少し考えることもあります。

教養のエチュード賞発表

3月31日夜、#教養のエチュード賞の受賞者が主催の嶋津さんのnoteにて発表されました。

昨年いろいろと参加して来たコンテストの締め括りと現時点での本気を出してエントリーした。

あれが僕の本気でフルパワーの熱量で書いた作品。

誰がどうとかではなく、あれほど時間をかけて考えて書いたことはなかったし、恥を承知でここに書いてしまうと本気で狙いにいったものだったので。

タイトルを獲りに行くという考え方は賛否あるだろうけれどやるからには狙いたいし、なによりも教養のエチュード賞の重みは過去2回を見て感じるものがあったからです。

ここでやり切ってみたい

そう思ったからこそ、それは毎日更新の流れには乗せずに何度も何度も直しながら時間を掛けて書いた。

本来はそうやって書くものなのだけど毎日更新との並行は実際に書いていても大変苦労したのが本音。

だから難しいとは感じながらも3月31日のこのときを誰にも言わなかったけれど緊張感を持って待ちわびていました。それはやはり《選ばれたい》気持ちがあったからです。

受賞は素晴らしいお二人の方へと贈られました。

本当におめでとうございます。

悔しい気持ちが次へと動かす

本音を隠さずに言えば悔しい。これに尽きるのです。

自分にもっと出来ることがあったのではないか?という思いが芽生えたかと考えてみるとそうではなくて。

本気でやったけれどダメだった事実。

これは別に『NO』を突き付けられたわけではない。何より素晴らしい二人の作品が選らばれただけで、他のものがダメだと言われているのではない。

ただ、今の自分の力ではまだ届かない領域だったことを感じたのが悔しい気持ちにさせたんだと思います。

嶋津さんは繰返し繰返し何度も作品を読み、奥深くに眠る書き手の感情すら汲み取ってくださいました。その姿に胸を打たれました。書き手としてそれほど光栄なことはないと思うのです。

選ばれたい【タイトル】への欲

烏滸がましいことを書くようですが、タイトルが欲しいと本気で思っています。

想いと行動が伴っているかと自身を振り返ると伴ってはいない現実があると思っていて、圧倒的にあらゆることに《研鑽》が足りていないと感じている。

視点を磨くこと、文章の書き方を磨くこと、感受性を養うこと、心を豊かにすること。

心技体》ではないけれど、総合的なバランスを兼ね備えなければ書けないものはあるのだと思う様になりました。

今やすっかり雲の上の存在になっている山羊メイルさん。神懸っている創作力の根源はしっかりと芯があるもの。言い切れること。そして、しっかりとカタチに出来るスキルは素晴らしいという言葉しか僕からは出てこないです。

山羊さんの作品の世界観は日常の中にある、誰にも気付かれないものを掬い上げているようなお話が多い印象です。その《気付き》がその人だけの世界観をつくるのだと思うのです。

まだ、熟読の域には達してないですがそれは僕の好きな作家の伊坂幸太郎ワールドの様でハラハラドキドキしながら、胸の中に広がる感情、安堵感。不思議な方だなと思ってしまう。ズルいよなって思ってしまうのです。

なかなか他の書き手の方には抱かない《嫉妬心》が湧いてくるのです。

なんと言えばいいのでしょうか。そもそも骨格が違う顔付きの人に焦がれるようなものと同じだろうか。

二度途切れてしまった毎日更新

実は、はじめて20日目あたりで一度、そして200日目を迎えるその日にもう一度。僕は毎日更新を二度途切れさせてしまった経験があります。

多くの人がそこで気持ちが落ちて諦めてしまうことを見ていたこともあり《そうはなるものか》小さな意地で転んでもすぐに立ち上がりまた走り出しました。

そして今ここまで書いています。

昨年の8月に途切れている毎日更新。なので、noteの表示的にはまだ230日目ぐらいなのです。途切れて日付跨いですぐに投稿して走り出したので、毎日更新をしている気持ちではいますけど。

止めるに止められない理由はそこにあるのかも知れません。365日達成の日をnoteでオフィシャルに迎えたい気持ち。それは間違いなくあります。だから、あと130日ぐらいはあるんですよ。たぶんそこまでは継続するつもりです。

それは自分だけに課したミッションです。ただ、少しそれも悩ましい気持ちになっています。

毎日更新の限界

書くことは苦ではない。書ける手応えもあれば、日に日に幅広さは出てきている様に感じています。

文章を書くことは楽しいです。嘘はなく本当の気持ちです。何よりもまだまだ書きたいことは山ほどあります。

ただ、時間は有限です。

この頃は毎日こうして書き続けることが正解なのかどうか考えることがあります。

間違いなく自分自身の継続出来ている自信を得られたことは大きなことです。精神安定剤のように書き上げたときのスッキリ感はかなりあります。

いつの頃からか毎日更新していることが周知され出してから「毎日更新していて凄いですね」と言われることがちらほら耳にするようになっていきました。その言葉に驕りは全くないんです。自分が好きで書いているだけなので、誰かにすごいと言われたくて書いているのではない訳なので。

日頃文章を書くことをしていない人から《凄い》と称賛されることで満たされるものは何もありません。

僕が今思うことは文章を書く人から僕が書く作品に対して認めてもらいたいという欲求が強くなっているということです。

《毎日書いている人》からの脱却は早い段階で考え直さなければならないかなと感じ出しています。それは、ここまで継続したからこそ感じれるものじゃないかと思っているのです。

もっと上に。

そう思ったとき、毎日更新しながらは難しいと感じたのです。

感性を磨き、より言語化させる

視点を磨くこと、文章の書き方を磨くこと、感受性を養うこと、心を豊かにすること。

毎日更新を止め、時間をそうしたことに充てていく。その選択が効果的かはわからないのですが、1つの作品に対して注ぐ時間も熱量も高まります。見詰め直しながら《その日のうちに》投稿しなくてもいい作品はもうひと越え出来る何かをそこで見つけられるのかも知れません。

僕はただ書いているだけで文章を終わらせたくないのです。

今でも伝えられていることがあるとは思います。目指すのは今以上です。ここではなくもっと深みのある味わいを文章に託してみたくなってきています。



これは《いい変化》だと捉えています。


ただ、タイトルに飢えているわけではなく、もっと多くの読み手の奥底に沁みわたるものを書きたいという欲望です。僕はこの気持ちを全肯定したいと思います。


さて、とは言いながらもう少し毎日更新をしながらじっくりと答えを見つけて行こうとは思います。もうこれで止めた!とこのnoteで言い切れないところがまだ未熟ですよね。


教養のエチュード賞に参加して良かったです。


受賞されたお二人、参加された皆さん。そして、主催の嶋津さんに感謝の気持ちを込めて。




サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!