「家族をする」ということ

息をすう
横隔膜が下がる
肺が膨らむ

肺の空気を押し出す
声帯が震える
声がでる

思いを伝えるには、このプロセスが必要になる。

このプロセスを踏まずに思いを伝えられる方法がある。

手紙だ。

手紙は、今まで数えるほどしか書いたことがない。

中学1年の林間学校のとき、家族にメッセージを書きましょうと、ポストカードが配布された。
意外と、すらすら書けたことを覚えている。そして、学校側が回収し、ポストに投函した。
数日後、林間学校から、家に帰ってきたときに、母親からある事実が伝えられる。

「あんた、お父さんの名前、書いてなかったわよ」

当時、僕にとって父さんは、少し煩わしい存在だった。
話もしたくないし、一緒にいたくもない。
無意識のうちに、僕は父親の存在を忘れたかったんだと思う。
(ちなみに、当時飼っていた猫の名前は書いてあったらしい。)

うちの家族は、普通の家庭だ。
それほど裕福でもないし、それほど貧乏でもない。
父さんは、普通のサラリーマンで、夜遅くに帰ってきて、朝早くに出ていく。だから、ほとんど会わない。
最近、無事に定年を迎えた。

僕は、父さんのことをあまり知らない。

父さんは、僕のことを、母さんに聞く。
そして、次の日の朝に、こんなことを言っていたよと、母さんから聞く。そして、僕は父さんのことを母さんに伝える。
そして、また次の朝に、こんなことを言っていたよと、母さんから聞く。 これが続いていく。
休みの日に、ときどきリビングで一緒の空間にいるときも、父さんは、母さんの僕のことを聞く。母さんは、

「わたしゃ、通訳じゃねえ!」

と言って、部屋を出ていく。こんな家庭だ。

少年期から、社会人になって一人暮らしを始めるまで、この状態が続いている。

父さんの、
好きな食べ物。
お気に入りの曲。
好みの芸能人。
将来の夢。
これからのこと。

それらを全部、おざなりにして、今まで生きてきた。
家族なのにね。

正月と盆に帰るだけの僕にとって、おそらく後、20回ほどしか会えない。 下手したら、もっと少ないかもしれない。お互いにそれをわかっている。けど、素直になれない、不器用な家族だ。

そんな不器用な家族に、ふいに話題が生まれた。
正月休みに実家に帰省していたときに、父親に言われた。

「LINEって、どうやって見るんだ?」

若いよ、父親。思わず笑ってしまう。
父さんのスマホを操作し、初期設定を行う。
初期設定が完了し、使えるかどうかLINEを確認する。

「こんにちは」
「こんにちは」
「父です」
「息子です」

固いよ、お互い。
その後、僕の送ったスタンプに興味があるらしく、ポケモンのスタンプをプレゼントした。

思えば、これが父さんへの初めてのプレゼントだ。(210円だけど)
手紙でも、お酒でもなく、まさかのラインスタンプだ。

目の前に相手がいるのに、僕らはSNSで会話をする。

こんな簡単なことだったんだと、僕は思った。
SNSは、家族をする、というキッカケをくれた。

それから、母親をいれて家族のライングループを作った。
そのグループは、まだ会話が行われていない。
でも、それでもいいと思う。

空白のライングループを見るたび、僕は不器用ながら、家族をしてみようと思うから。

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